小倉百人一首の歌「ちはやぶる神代もきかず竜田川からくれなゐに水くくるとは」で知られる。 平城天皇皇子の阿保親王の第五子で在五中将とも呼ばれる。在原行平の弟。 天長3年(826年)、阿保親王の奏請により兄弟と共に在原朝臣姓を賜与され、臣籍降下する。 貞観5年(863年)、在原業平左兵衛権佐。 六歌仙の一人。古今和歌集仮名序に「その心あまりてことばたらず」とある。 『伊勢物語』は、在原業平の物語であると古くからみなされてきた。 |
なぎさのゐんにてさくらをみてよめる 世中にたえてさくらのなかりせば春の心はのどけからまし ちはやぶる神世もきかずたつたがはから紅に水くくるとは |
あづまの方へ、ともとする人ひとりふたりいざなひていきけり。みかはのくにやつはしといふ所にいたれりけるに、その河のほとりにかきつばた、いとおもしろくさけりけるをみて、木のかげにおりゐて、かきつばたといふいつもじをくのかしらにすへ(ゑ)て、たびの心をよまんとてよめる。 |
唐衣きつゝなれにしつましあればはるばるきぬるたびをしぞおもふ |
むさしのくにと、しもつふさのくにとの中にある、すみだがはのほとりにいたりて、みやこのいとこひしうおぼへければ、しばし河のほとりにおりゐて、思ひやればかぎりなくとを(ほ)くもきにける哉と思ひわびて、ながめをるに、わたしもり、はや舟にのれ、日くれぬといひければ、舟にのりてわたらんとするに、みな人ものわびしくて、京におもふ人なくしもあらず、さるお(を)りに、しろきとりの、はしとあしとあかき、川のほとりにあそびけり。京にはみえぬとりなりければ、みな人みしらず、わたしもりに、これはなにどりぞととひければ、これなん宮こどりといひけるをききてよめる |
名にしおはばいざこととはむ宮こどりわが思ふ人は有りやなしやと |
これたかのみこのともに、かりにまかりける時に、 あまのかはといふ所のかはのほとりにおりゐて、さ けなどのみけるついでに、みこのいひけらく、かり してあまのかはらにいたるといふこゝろをよみてさ か月はさせといひよみめる |
かりくらしたなばたつめにやどからんあまのかはらに我はきにけり |
五條のきさいの宮のにしのたいにすみける人に、ほ いにはあらでものいひわたりけるを、む月のとをか あまりになん、ほかへかくれにける、あり所はきゝ けれど、えものもいはで又のとしの春、むめの花さ かりに、月のおもしろかりける夜、こぞをこひて、 かのにしのたいにいきて、月のかたぶくまで、あば らなるいたじきにふせりてよめる |
月やあらぬ春やむかしの春ならぬ我身ひとつはもとの身にして |
おほかたは月をもめでじこれぞこのつもれば人のおいとなる物 |
これたかのみこのかりしけるともにまかりて、やど りにかへりて、よひと夜さけをのみ、ものがたりを しけるに、十一日の月もかくれなんとしけるお(を) りに、みこゑひてうちへいりなんとしければよみ侍 りける |
あかなくにまだきも月のかくるゝか山のはにげていれずもあらなん |
やまひしてよは(わ)くなりにける時よめる |
つゐ(ひ)にゆく道とはかねてきゝしかどきのふけふとはおもはざりしを |
女に遣はしける かすがのの若紫のすり衣忍ぶの亂れかぎりしられず |