旅のあれこれ
太田南畝ゆかりの地
寛延2年(1749年)3月3日、御徒の大田正智(吉左衛門)の嫡男として江戸の牛込中御徒町(現:東京都新宿区中町)に生まれる。 明和2年(1765年)7月6日、父正智の跡を継いで御徒となる。 明和5年(1768年)2月、父正智致仕隠居。 安永3年(1774年)2月、父正智薙髪して自得と号す。 安永6年(1777年)6月、『蓼太句集』再刊。南畝序。 天明7年(1787年)、大田南畝は横井也有の死後『鶉衣』(前篇)刊。 天明8年(1788年)9月9日、父自得歿。行年73。 寛政6年(1794年)、湯島聖堂の学問吟味に合格。 享和元年(1801年)、大坂銅座に赴任する。『改元紀行』 享和2年(1802年)、太田南畝は江戸に帰る。『壬戌紀行』 文化元年(1804年)8月18日、太田南畝が大坂を出て小倉まで旅をする『革令紀行』。9月、長崎奉行所勘定役として着任。 文化2年(1805年)10月10日、長崎を立ち江戸に帰る。『小春紀行』 文化6年(1809年)2月16日、太田南畝は松原庵星布を訪ねる。 文政6年(1823年)4月6日、75歳で没。小石川の本念寺(文京区白山)に墓がある |
仁義 | 分厘の雲さえ晴れてそろばんの玉の三五か十五夜の月 |
禮智 | 一村の奥女中かと見るまでに木ごとに花のわた帽子雪 |