明治9年(1876年)12月9日、太田水穂は長野県東筑摩郡広丘村(現:塩尻市)に生まれる。本名は太田貞一。
明治18年(1885年)4月21日、四賀光子は長野県上水内郡長野町(現:長野市)に生まれる。本名は太田みつ。
明治41年(1908年)、太田水穂は上京。
明治42年(1909年)、東京女子高等師範学校(現:お茶の水女子大学)卒業。太田水穂と四賀光子は結婚。
明治45年(1912年)、若山牧水は太田水穂が仲人となり喜志子と結婚。
大正4年(1915年)、太田水穂は短歌誌『潮音』を創刊主催。
大正8年(1919年)、太田水穂は田端に移り住み、昭和14年まで居住した。
昭和9年(1934年)、鎌倉の扇ガ谷に山荘を設け、昭和14年に移住。
昭和30年(1955年)、太田水穂死去。享年79。
昭和51年(1976年)3月23日、四賀光子は90歳で没。
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太田青丘は太田水穂・四賀光子の養嗣子。

つゝめともつゝみもあへぬしら珠か霞のおくの大蓮華岳
波多野邸(北海道旭川市)

根をたえで世々につきつぐこの花の光りあまねき普陀落の庭
西明寺(栃木県芳賀郡益子町)
田端文士村記念館

(東京都北区)

何ことを待つへきなら志何こともかつがつおもふ程は遂げしに
東慶寺(神奈川県鎌倉市)

此の夕へ外山をこゆる秋風椎もくぬきも音たてにけり
懐古園(長野県小諸市)

此のゆふべ外山をこゆる秋かぜに椎もくぬぎも音たてにけり
山田温泉(長野県上高井郡高山村)

たゝかひは何處にありし山川やかく静けくて雲を遊はす
広丘郵便局(長野県塩尻市)

山蒼く暮れて夜霧に灯をともす木曽福島は谷底の街
木曽福島(長野県木曽郡木曽町)

みんなみの海のはてよりふき寄する春のあらしの音ぞとよもす
祇園之洲公園(鹿児島県鹿児島市)
四賀光子ゆかりの地

流らふる大悲の海によばふこゑ時をへだててなほたしかなり

九十年生き来し己れか目つむれば遠汐さゐの音ぞきこゆる
東慶寺(神奈川県鎌倉市)

竹植えて石を敷きつめこの庭や浄らに朝の雨にぬれゆく
戸倉上山田温泉(長野県千曲市)

鉢伏の山を大きく野にすゑて秋年々のつゆくさの花
塩尻歌碑公園(長野県塩尻市)

不二を正座に八つと甲斐駒侍立志て雲乃どん帳志つ可に下りくる
文学の道公園(長野県諏訪市)
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