小倉百人一首の歌「此の度は幣もとりあへず手向山紅葉の錦神のまにまに」で知られる。 |
承和12年(845年)6月25日、京都の菅原院で生誕。菅原是善の三男。 昌泰2年(899年)、右大臣に昇進。 昌泰4年(901年)正月25日、藤原氏によって太宰権帥に左遷された。 延喜3年(903年)2月25日、配所榎寺で一生を終る。 延喜4年(904年)、防府天満宮建立。 延喜19年(919年)、太宰府天満宮創建。 天暦元年(947年)、北野天満宮創建。 天元2年(979年)、綱敷天満宮創建。 |
朱雀院のならにおはしましたりける時に、たむけ山 にてよみける
すがはらの朝臣 |
このたびはぬさもとりあへずたむけ山紅葉の錦神のまにまに |
法皇、宮の滝といふ所御覧じける、御供にて
菅原右大臣
水ひきの白糸延(は)へて織る機は旅の衣に裁ちや重ねん |
流され侍て後、言ひを(お)こせて侍ける
贈太政大臣 |
君が住む宿のこずゑのゆくゆくと隠るゝまでにかへりみしはや |
流され侍ける道にて詠み侍ける
贈太政大臣 |
天つ星道も宿(やどり)も有ながら空に浮きてもおもほゆる哉 |
流され侍ける時、家の梅の花を見侍て
贈太政大臣 |
東風吹かばにほひを(お)こせよ梅花主(あるじ)なしとて春を忘るな |
草葉には玉と見えつゝわび人の袖の涙の秋のしら露 鶯を 谷ふかみ春のひかりのおそければ雪につゝめる鶯のこゑ 柳を 道の辺の朽木の柳春来ればあはれ昔としのばれぞする 山 あしびきのこなたかなたに道はあれど都へいざといふ人ぞなき 月 つきごとに流ると思ひし真澄かゞみにしの浦にもとまらざりけり 雲 山わかれとびゆく雲の歸りくる影みる時は猶たのまれぬ 道 かるかやの關守にのみみえつるは人も許さぬ道べなりけり |