明治6年(1873年)11月4日、石川県金沢市下新町に生まれる。本名泉鏡太郎。 明治24年(1891年)10月19日、尾崎紅葉を訪ね、書生生活を始める。 明治27年(1894年)、『義血侠血』を発表。 明治32年(1899年)、硯友社の新年会で神楽坂の芸妓桃太郎(本名伊藤すず)と親しくなる。 明治36年(1903年)3月、神楽坂の借家に伊藤すずと同棲する。 明治36年(1903年)10月30日、尾崎紅葉が没すると、すずを正式に妻として迎える。 明治40年(1907年)、やまと新聞に『婦系図』を連載。 明治43年(1910年)5月、麹町下六番町に転居。 昭和14年(1939年)9月7日、泉鏡花歿。享年67。雑司ヶ谷霊園に墓碑がある。 |
昭和十四年九月七日午後二時四十分、泉鏡花 先生逝去せらる 番町の銀杏殘暑わすれめや
『草の丈』 |
昭和17年(1942年)、里見惇、久保田万太郎、岩田藤七らによって「筆塚」が建てられた。 昭和25年(1950年)1月20日、鏡太郎妻すゞ歿。享年70。 |