旅のあれこれ文 学


大谷句佛ゆかりの地

『我は我』

 句佛は東本願寺第二十三代法主、真宗大谷派管長大谷光演の俳号。法名は彰如。「懸葵」を主宰。

 明治8年(1875年)2月27日、東本願寺第二十二代法主現如の次男として誕生。

 明治36年(1903年)3月、高浜虚子は東本願寺に句佛を訪ねた。

 明治41年(1908年)11月、第二十三代法主を継承し、真宗大谷派管長となる。

 明治42年(1909年)6月24日、巡錫中柏崎で河東碧梧桐に邂逅する。

   巡錫中俳行脚の碧梧桐子と柏崎に邂逅す限りなきう
   れしさを語りてやがて別れぬ

夏霞君は果てなき旅に居て


 明治44年(1911年)、宗祖親鸞聖人六百五十回御遠忌法要を厳修。

   父が遷化せられし時


 大正12年(1923年)2月8日、大谷光瑩示寂。享年72。

 大正14年(1925年)9月、財政問題の責を負って退任。大谷光暢(闡如)が第二十四代法主に就任。

   宗門の前途を憂へ爲さんとしたる事反つて仇となり職
   を退く

しろしめす祖師の膝下に秋澄む日


 大正14年(1925年)、大津市本堅田の本福寺を訪ねる。

 昭和3年(1928年)、大谷句佛(彰如上人)は北海道布教のため来訪し、能量寺を拠点として活動した。

 昭和9年(1934年)10月、吉崎御坊跡に蓮如上人の銅像完成、光暢上人が導師となって除幕式が行なわれた。

御在世のひびの御足を偲び泣く   句佛上人

 昭和10年(1935年)、聖興寺に千代尼の百五十回忌を修す。

 昭和13年(1938年)10月15日、『我は我』刊。

 昭和18年(1943年)2月6日、68歳にて示寂。

二月十三日。大谷句佛追悼。

 立春の光りまとひし佛かな


石狩は鮭の魚飯に名残あり

能量寺(北海道石狩市)

祖恩しのふ北門秋の法城に

東本願寺函館別院(北海道函館市)

朝顔の種もこぼれよ初時雨

聖興寺(石川県白山市)

この遠忌に確信の縁も木々の芽も

鶴来別院(石川県白山市)

山茶花の落花に魂や埋れなん

本福寺(滋賀県大津市)

勿軆なや祖師ハかみこ乃九十年

渉成園(京都府京都市)

勿軆なや祖師はかみこの九十年

宗林寺(香川県さぬき市)

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