慶応3年(1867年)12月16日、江戸芝中門前町(現:芝大門)に生まれる。本名、徳太郎。父は根付師の尾崎谷斎(惣蔵)。 明治11年(1878年)、東京府第一中学正則科に入学。同級に幸田露伴がいた。 明治18年(1885年)、帝国大学国文科中退。山田美妙らと硯友社を設立し「我楽多文庫」を発刊。 明治24年(1891年)10月19日、泉鏡花は尾崎紅葉を訪ね、書生生活を始める。 明治30年(1897年)1月から明治35年(1902年)4月まで、読売新聞に小説『金色夜叉』を連載。 明治32年(1899年)6月10日頃から約1ヶ月程度「清琴楼」に滞在して『金色夜叉』を執筆。 明治36年(1903年)10月30日、自宅で没す。享年35。青山霊園に墓碑がある。 |