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金田一京助ゆかりの地

 明治15年(1882年)5月5日、岩手郡仁王村四ツ家町町33番戸(現:盛岡市本町通2丁目)に生まれる。

 明治25年(1892年)、金田一京助は盛岡高等小学校(現:下橋中学校)入学。

 明治28年(1895年)、石川啄木は盛岡高等小学校(現:下橋中学校)に入学。

 明治29年(1896年)、金田一京助は岩手縣尋常中學校(現:盛岡第一高等学校)に入学。

 明治31年(1898年)、石川啄木は岩手縣盛岡尋常中學校に入学。

 明治34年(1901年)、第二高等学校(現:東北大学)入学。

 明治40年(1907年)、東京帝国大学文科大学言語学科卒業。

 明治41年(1908年)9月6日、蓋平館別荘に移る。

 明治42年(1909年)12月1日、『一握の砂』(東雲堂)刊行。

函館なる郁雨宮崎大四郎君
同国の友文学士花明金田一京助君

この集を両君に捧ぐ。予はすでに予のすべてを両君の前に示しつくしたるものの如し。従つて両君はここに歌はれたる歌の一一につきて最も多く知るの人なるを信ずればなり。

 昭和6年(1931年)、『アイヌ叙事詩 ユーカラの研究』二冊刊行。

 昭和23年(1948年)、日本学士院会員。

 昭和29年(1954年)、文化勲章受章。

 昭和30年(1955年)、尾道に遊ぶ。

 昭和34年(1959年)、盛岡市名誉市民第一号の称号を贈られる。

 昭和46年(1971年)11月14日、永眠。享年90。

下橋中学校

(盛岡市馬場町)

啄木ゆかりの赤心館跡

(東京都文京区)

石川啄木ゆかりの蓋平館別館跡

(東京都文京区)

金田一京助の歌碑

千光寺公園(広島県尾道市)

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