紀行・日記
『廻国雑記』(道興准后)
道興は左大臣近衛房嗣の子で、京都聖護院門跡第二十四世。聖護院は修験道本山派の総本山。 |
文明18年(1486年)6月から約10ヶ月間、北陸路から関東各地を廻り、駿河・甲斐、奥州松島までの紀行文。 |
文明十八年六月上旬の頃。北征東行のあらましにて、公武に暇の事申入れ侍りき。各々御對面あり。東山殿(義政)ならびに室町殿(義尚)に於て。數献これあり。祝着滿足これに過ぐべからず。 |
七月十五日。越後の國府に下着。上杉兼てより長松寺の塔頭貞操軒といへる庵を点じて。宿坊に申しつけ。相模守路次まで迎へに來たり。 |
岡部の原といへる所は。彼の六彌太といひし武夫の舊跡なり。近代關東の合戰に數万の軍兵討死の在所にて。人馬の骨をもて塚につきて。今に古墳數多侍りし。暫く回向して口にまかせける。 なきをとふ岡べの原のふる塚に秋のしるしの松風ぞ吹く |
古河といふ所にて舟にのり。 こがくれに浮べる秋の一葉ぶねさそふあらしを川をさにして 河舟をこがの渡りの夕波にさしてむかひの里やとはまし |
神野山といへる道場にまうでて、 なく鹿の野にも山にも聞ゆなり妻こひわふる秋の夕暮 |
那古の観音にまうで、ぬかづき終りて、夕の海づらをながめやるに、寺僧の出で来て、あれ見給へ、入日を洗ふ沖津白浪とよめるは此の景なりといへり。されど、それは津の国住吉郡なごの浦をよめるとかや。そのなごの浦に難波津をまもれる人の住みしによりて、其の浦を津守の浦といひ、又、子孫の氏によびて津守氏ありとかや。今はなごの浦の所に、さだかにしれる人なしとなむ。此の歌いづちにしてよめるもしり難けれど、寺僧のいふに任せてしるすものなり。まことに今も入日を洗ふ沖つ波、眼前の景色えも言ひがたし。 なこの浦の霧のたえまに眺むればこゝにも入日洗ふ白浪 |
今宵はこゝに通夜し。明くるあした。名にしおふ野島が崎を見侍れば。朝霧こゝかしこに立消るさまたゞならず。 あま小舟見えつかくれつ朝あけの野じまがさきの霧のむらむら |
勝山と云へる所にて。 駒はあれどかちよりぞ行くかち山の里にこはたそ思ひやらるゝ 河名といへる所にて、里人の菜を洗ふを見て。 つみためて洗ふ河なのさとびとよ誰があつものゝ供へにやなす |
此の所より右の方に。鋸山といへる山あり。峰のあらしに雲晴れて。あからさまに其のみね見ゆ。段々ありて。誠にのこぎりの様になん侍れば。俳諧。 宮木ひく峰のあらしにくも晴れてのこぎり山はかゞりとも見ゆ |
これより舟に入りて。三崎と云へる所に上りて。 あはれとも誰かみさきの浦づたひ潮なれごろも旅にやつれて 浦川の港と云へる所にいたる。 こゝは昔し頼朝卿の鎌倉にすませ給ふ時。金沢・榎戸・浦河とて。三つの湊なりけるとかや。 えの木戸はさしはりてみず浦がはに門をならべて見ゆる家々 |
日光山にのぼりてよめる。又、昔は二荒山といふとなむ。 雲霧もおよはで高き山のはにわきて照りそふ日の光りかな |
此の山にや、やますげの橋とて深秘の子細ある橋侍り、くはしくは縁起にみえ侍る。又、顕露(あらは)に記し侍るべき事にあらず。 法の水みなかみふかく尋ねずば、かけてもしらじ。山すげの橋 |
瀧の尾と申し侍るは無雙隻の霊神にてましましける。飛瀧の姿目を驚し侍りき。 世々をへて給ふ契りの末なれやこの瀧の尾の瀧のしら糸 |
この山の上三十里に中禅寺とて権現ましましけり。登山して通夜し侍る。今宵はことに十三夜にて月もいづくに勝れ侍りき。渺漫たる湖水侍り、歌の浜といへる所に紅葉色を争ひて月に映じ侍れば、舟に乗りて、 敷島の歌の浜辺に舟よせて紅葉をかざし月をみるかな 翌日中禪寺を立出ける道に。數ちらしける紅葉の。朝霜のひまに見えければ。先達しける衆徒長門の竪者といへる者にいひ聞かせ侍りける。 山ふかき谷の朝しもふみ分けてわがそめいだす下紅葉哉 |
下つ総の国児の原といへる所あり。いかなるゆゑに、かゝる名の所は侍るぞと、さと人に尋ねければ、此の在所、白波青林横行の地たるによりて、ある少人のとほりけるに、衣装など剥ぎ取るのみならず、剰へ殺害し侍りき。夫より此の所をかやうに号し侍るよし語り侍れば、今更の心ちして、塚のほとりに立ちよりて、思ひつゞけて廻向し侍りける。 佳人落命荒原上 蘇底古碑空刻名 勿恨青林犯花影 浮生有限辱兼栄 白波に浮名をなかす児の原恋ちにすつる身とも聞かはや |
岩つきといへる所を過ぐるに、富士のねには雪いとふかく、外山には残んの紅葉色々にみえければ、よみて同行の中へ遣しける。 ふしのねの雪に心をそめてみよ外山の紅葉色深くとも |
浅草といへる所に泊りて、底に残れる草花を見て、 冬の色はまた浅草のうら枯に秋の露をものこす庭かな |
此の里のほとりに石枕といへるふしぎなる石あり。其の故を尋ねければ、中ごろのことにやありけむ、なまさぶらひ侍り。娘を一人もち侍りき。容色大かたよの常なりけり。かのちち母、むすめを遊女にしたて、道行人に出でむかひ、彼の石のほとりにいざなひて交会のふぜいをこととし侍りけり。かねてよりあひ図のことなれば。折をはからひて、かの父母枕のほとりに立ちよりて、とも寝したりける男のかうべを打砕きて、衣装以下の物を取りて一生を送り侍りき。さる程に、かの娘つやつや思ひけるやう、あな浅ましや、いくばくもなきよの中に、かゝるふしぎのわざをして、父母諸共に悪趣に墮して、永劫沈淪せむことの悲しさ、先非におきては悔いても益なし。これより後の事様々工夫して、所詮、我父母を出しぬきて見むと思ひ、ある時、道ゆく人ありと告げて、男の如くに出でたちて、かの石にふしけり。いつもの如く心得て、頭を打砕きけり。いそぎものども取らむとて、ひきかづきたるきぬをあげてみれば、人ひとりなり。あやしく思ひて、よくよく見れば我がむすめなり。心もくれ惑ひて浅ましといふばかりなし。それより、かの父母速やかに発心して度々の悪業をも慙愧懺悔して、今の娘の菩提をも深く弔ひ侍りけると語り伝へけるよし、古老の人の申しければ つみとかのつくるよもなき石枕さこそは重き思ひなるらめ |
当所の寺号、浅草寺といへる。十一面観音にて侍り、たぐひなき霊仏にてましましけるとなむ。参詣の道すがら、名所ども多かりける中に、まつち山といふ所にて、 いかてわれ頼めもおかぬ東路の待乳の山にけふはきぬらむ しくれても逐にもみちぬ待乳山落葉をときと木枯そ吹く |
あさちが原といへる所にて、 人めさへかれてさひしき夕まくれ浅茅か原の霜を分けつゝ |
かくて、隅田川のほとりに到りて、皆々歌よみて披講などして古の塚のすがた、哀れさ今の如くに覚えて、 古塚のかけ行く水の隅田川聞きわたりてもぬるゝ袖かな |
同行の中に、さゝえを携へける人ありて盃酌の興を催し侍りき。猶ゆきゆきて川上に到り侍りて、都鳥尋ね見むとて人々さそひける程に、まかりてよめる こととはむ鳥たに見えよすみた川都恋しと思ふゆふへに 思ふ人なき身なれとも隅田川名もむつましき都鳥かな やうやう帰るさになり侍れば。夕の月、所がらおもしろくて舟をさしとめて、 秋の水すみた川原にさすらひて舟こそりても月をみるかな |
次の日、浅草を立ちて、新羽といへる所に赴き侍るとて、道すがら名所ども尋ねける中に、忍の岡といへる所にて、松原のありける蔭にやすみて、 霜ののちあらはれにけり時雨をは忍の岡の松もかひなし |
こゝを過て小石川といへる所にまかりて、 我かたを思ひふかめて小石河いつをせにとかこひわたるらん |
鶴が岡の八幡官に参詣し侍れば、伝へ聞き侍りしに勝れたる宮だちなり。まことに信心肝にめいじて尊くおぼえ侍る。抑、当社別当祖師隆弁僧正、経歴年久し。その階弟道瑜准后、号をば大如意寺といひ、両代彼の職に補し侍りき。由緒無双なることを思ひ出でて、神前に奉納の歌、 神もわか昔の風を忘れすは鶴かをかへのまつとしらなむ |
金澤にて時宗の庵の侍りけるに。立よりて茶を所望しけるに。庭に殘菊の黄なるを見てよめる。 誰こゝにほりうつしけん金澤や黄なる花さくきくのひともと 此の在所に稱名寺といへる律院はべり。殊の外なる古所にて。伽藍などもさりぬべきさまなる。所々順禮し侍りけり。 |
藤沢の道場、聞えたる所なれば一見し侍りき。ある寮にて茶を所望し侍り、暫く休みけるに池の紅葉のちりけるを見て、 沢水もかけは千いろの木の葉かな 道場の前に、ふりたる松に藤のかゝりければ、 紫の色のゆかりの藤さはにむかへの雲をまつぞ木たかき |
大磯の宿といへる所は、古へ虎といひける好色の住みける所となむ。ある同行に戯れに申しきかせける。 今は又とらふすのへとあれにけり人は昔の大磯の里 |
鴫たつ沢といふ所にいたりぬ。西行法師こゝにて、心なき身にも哀れはしられけりと詠ぜしより、此の所はかくは名づけけるよし、里人の語り侍りければ、 哀れしる人の昔を思ひ出でて鴫たつ沢をなくなくそとふ |
まりこ川にて、俳諧、 鈴かけのくゝりを上けてまりこ川おひ綱かいつけふは暮さむ |
かくて三島にまうでて、 波たてぬみよにと祈る三島江のあしてふことを払へ神風 |
あしがら山をこゆとてよめる、 足柄のやへ山越えて眺むれは心とめよとせきやもるらむ |
やまびこ山にて こたへする人こそなけれあし曳の山びこ山は嵐ふくなり 先のたび渡りける鞠子川又通るとて。俳諧。 まりこ川またわたる瀬やかへり足 |
宿相州大山寺。寒夜無眠。而閑寂之余。和漢兩篇口號。 蓑笠何堪雪後峰 山隈無舎倚孤松 可憐半夜還郷夢 一杵安驚古寺鐘 わが方を敷しのべどもゆめぢさへ通ひかねたる雪のさむしろ |
此の関をこえ過ぎて、恋が窪といへる所にて、 朽ちはてぬ名のみ残れる恋が窪今はたとふも契りならすや |
佐西の観音寺といへる山伏の坊にいたりて、四五日遊覽し侍る間に、瓦礫ども詠じ侍る中に、 |
此のあたりに野火どめのつかといふ塚あり。けふはなやきそと詠ぜしによりて、烽火忽にやとまりけるとなむ。それより此の塚をのびどめと名づけ侍るよし、国の人申し侍りければ、 わか草の妻も籠らぬ冬されにやかてもかるゝのひとめの塚 |
これを過ぎて、ひざをりといへる里に市侍り。暫くかりやに休みて、例の俳諧を詠じて、同行に語り侍る、 商人はいかで立つらむ膝折の市に脚気をうるにぞありける |
武蔵野に出でて、酒など飲みて遊びけるに、はじめて雲雀の揚るをみて、 若草の一本ならぬ武蔵のにおつる雲雀も床まよふらむ |
猿橋とて川の底千尋に及び侍る上に、三十余丈の橋を渡して侍りけり。此の橋に種々の説あり。昔、猿の渡しけるなど里人の申し侍りき。さる事ありけるにや、信用し難し。此の橋朽損の時は、いづれに国中の猿飼ども集りて、勧進などして渡し侍るとなむ。然あらば其の由緒も侍ることあり。所がら奇妙なる境地なり。 名のみしてさけふもきかぬ猿橋の下にこたふる山川の声 同じ心を、あまた詠じ侍りけるに、 谷深きそはの岩ほのさる橋は人も梢をわたるとそみる 水の月猶手にうとき猿橋や谷は千ひろのかけの川せに |
同じ国、はつかりの里といへる所を過ぎ侍りける折節、帰雁の鳴きけるを聞きて、 今はとて霞をわけてかへるさにおほつかなしや初雁の里 |
かし尾といへる山寺に一宿し侍りければ、かの住持のいはく、後の世のため一首を残し侍るべきよし頻りに申し侍りければ、立ちながら口にまかせて申し遣しける。かし尾と俗語に申し習し侍れども、柏尾山にて侍るとなむ。 蔭頼む岩もと柏おのづから一よかりねに手折りてそしく |
又、此の国の塩の山、さしでの磯とて、竝びたる名所侍りければ、 春の色も今一しほの山みれは日かけさしての磯そかすめる 此の二首を遣し侍りき。其の後、さしでの磯にて鶯を聞きてよめる はる日影さして急くかしほの山たるひとけてや鶯のなく |
朽木の柳といへる所に到る。古への柳は朽ちはてて、その跡にうゑたるさへ又苔に埋れて朽ちにければ、 みちのくの朽木の柳糸たえて苔の衣にみとりをそかる |
是より、いな沢の里、黒川、よさゝ川などうち過ぎて、白河二所の関に到りければ、いく木ともなく山桜吹きみちて、心も詞も及び侍らす。暫く花の蔭にやすみて、 春は唯花にもらせよ白川のせきとめすとも過きむものかは おなじ心を、あまたよみ侍りける中に、 とめすともかへらむ物か音にのみ聞きしにこゆる白川の関 しら川の関のなみ木の山桜花にゆるすな風のかよひち |
是より田村といへる所に罷りける道すがら、さまざまの名所ども多かりけり。いひすてし歌など記すに及ばず。あさかの沼にて、 はなかつみかつそうつろふ下水のあさかの沼は春深くして あさか山にてよめる ちりつもる花にせかれて浅か山浅くはみえぬ山のゐの水 |
武隈の松蔭に暫らく立ち寄りて、ふりぬる身のたぐひなりと、思ひよそへてよみ侍りける 徒らに我も齢はたけくまのまつことなしに身はふりにけり |
末の松山遥かにながめやりて、さてもはるばると来にけることなど思ひつゞけて、いつのまに春も末にならぬらむと思ひわびて、 春ははや末の松山一ほともなくこゆるぞ旅の日なみなりける 又おなじ所にて、 人なみに思ひ立ちにしかひあれやわかあらましの末の松山 |
けふの道に、実方朝臣の墳墓とて、しるしのかたち侍る。雨はふりきぬと詠じけるふるごとなど思ひ出でてよめる 桜かり雨のふること思ひいててけふしもぬらすたひ衣かな |
奥の細道、松本、もろをか、あかぬま、西行がへりなどいふ所々をうち過ぎて、松島に到りぬ。浦々島々の風景辞も及びがたし。かねて聞き侍りしは物の数にても侍らず。皆々帰りかね侍りければ、 此浦のみるめにあかで松しまやをしまぬ人もなき名殘かな 籬が島を見渡せは。藤つゝじなど咲きあひて見え。風景多かりければ。 まがき島たが結ひ初し岩つゝじいはほに掛る磯のふぢなみ |
つゝじが岡を越え行きけるに、わらびをみて、 名にしおふ躑躅か岡の下蕨ともに折りしる春の暮れかな |
とゞろきの橋を過ぎ侍るとて、 かち人も駒もなづめる程なれやふみもさだめぬ轟の橋 |