寺を出て上野の駅を過、白子と云所に宿す。是より桑名、熱田、三河の吉田にも舟にて渡る所なり。此所を鼓が浦と云。不断桜とて四時に花咲、名木の桜あり。此木は白子の内、寺家村観音寺の庭にあり。
十五日。白子をいづ。朝は雨ふる。神戸(カンベ)は石川若狭守殿領地にて。住給ふ。神戸を出れば高岡川あり。此比の大雨に洪水出て、河のわたり四町ばかりみなぎり流る。舟なければ渡るべきやうなし。せんすべなくて、いとすくやかなる里人を雇ひ、肩にとりて渡る。水深く、わたり遠ければ、あやうくしてなやみくるしめり。されど此役夫は、みたりの力あるつよきおのこにて。六十になれど猶すまひをよくとりて。此あたりにては名を得し男となん聞ゆ。馮河するには、いとたのもし。水のいとふかき所は、わかいさらゐをひたす。からうじて川をわたり追分にゆき、それより五十町を過て四日市に着。桑名にいたり、船にのり、海をわたらず川をのぼる。順風ふきて、やがて尾張の佐屋と云所につく。
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佐屋川は、尾越川洲股川の末なり。尾越川は木曽川の末なり。洲股は美濃がおく郡上よりいづ。二の川、下にて一となりこゝに流る。伊勢の長嶋と云所、此川の西にあり。其西にも川有。長嶋は二の川の中に有て長き嶋なり。山はなし。佐屋より陸地を行。曇りなき日は此辺より北に遠く、加賀の白山見ゆ。夏の比も麓まで皆雪なり。又、東北に木曽の御嶽、駒が嶽など見ゆ。けふは曇りて見えず。神守に行て宿す。此あたりの事、昔年通りし時、あづまぢの記とてしるせし巻にのせたり。今こゝにしるさず。
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5月16日、笠寺に至る。
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笠覆寺山門

十六日。雨ふる。万場、岩塚を過、熱田にいで鳴海にゆく。右の方の海辺に宵月の浜あり。空はれし時は、海人の家、塩屋など見ゆれど、けふは曇りて見えず。星崎、夜寒の里など云名所、皆其あたりに近し。笠寺に至る。此寺、号は竜福(ママ)寺天林山と号す。此寺、道の側にあり。其さき、鳴海と池鯉鮒の間、南の方、桶間(ハザマ)とて信長公の今川義元を打亡ぼし給へる所あり。大道の右の傍にあり。義元の墓あり。
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5月17日、鳳来寺のことを書ている。
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十七日。雨やみぬ。御油の東に本坂越に行道あり。是より三河の鳳来寺にもゆく。御油より鳳来寺に九里あり。御油より大木と云所に宿あり。其先に新城と云所菅沼氏の居所なり。鳳来寺は山上にあり。峰に薬師堂あり。いと美麗なり。僧坊多し。風景甚うるはしといふ。寺領七百四拾石つく。天台宗なり。又、其辺に、東照大権現の御宮あり。寺領七百二拾石つけり。われ遊観の志あれども道遠ければゆかず。
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5月18日、佐夜の中山を越え、金谷に泊まる。
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十八日。朝、浜松をいづ。見付の南の方に、今の浦のとて大なる池あり。古歌あり。天竜川、洪水いで川ひろくして船おそきゆへ、行人、川岸に多くつどひて舟の来るをまつ。のるもの、をくれじとさきをあらそひ、かまびすし。佐夜の中山を越行ば、年たけて又こゆべしとおもひきや、と読し哥、今わが身のうへになずらへて、感慨きはまりなし。又、けゝらなくよこおりふせる、とよみしは、佐夜の中山の北によこをれて甲斐が峯をさやかに見ざるを、うらめしく思ひていへるなり。今夜は金谷にとゞまる。
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5月19日、大井川を渡り、江尻に泊まる。
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十九日。朝、大井川をわたる。此比、日なみよければ、水あさくて心のどけし。安部川いとあさまし。此河原より北に遠く、甲斐の白峯見ゆ。常に雪あり。安部川の上に木枯の森有。けふは江尻にとまる。
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5月20日、江尻から興津に至る。
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廿日。江尻を出て興津に至る。かねて甲斐の国にゆかんとおもふ志ありしかば、まづ興津川をのぼりゆく。
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5月21日、西行坂越えて身延に向かう。
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廿一日。万沢を出て、半里ばかりさきに、西行坂あり。其上に西行松とて大なる松あり。万沢より南部へ三里、南部より身延へ三里、すべて興津より身延まで十二里なれど、其間、深山幽谷にて路けはしく、河おほければ、かねておもひしよりは、はかゆかず。
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5月21日、身延山を訪れる。
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今夜は身延にとゞまる。身延は名所なり。古歌あり。身延の寺は身延山久遠寺と号す。高き山の下、谷の上にあり。三方には山あり。いとものふかき谷の中なり。まへなる川に橋の長五六間なるあり。柱はなくて桁ばかりにて、上に板をならべり。大なる惣門あり。内にいれば町あり。
町を過て寺へゆけば、大なる三門あり。門上は閣なり。其高大美麗なる事、京都相国寺、南禅寺などの三門にもおとるまじと見ゆ。
三門を過れば甃(イシダゝミ)一町ばかりありて、やうやく高し。其上にけづれる石階の高きあり。両のかたはらにきれる石をもて、へりとす。のぼり行ほど石階八所にありて、其間にたいらかなる所、各一間ばかりあり。八所つらなれるきざはしのかず、すべて三六七級あり。最下より下をのぞめば、八所の石階、一に連り見へて高き事、天をのぞむがごとし。通計は凡百間ばかりもありなん。きざはしをのぼりつくせば上に二王門あり。二天門といふ。門にいれば即本院なり。
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祖師堂

5月21日、身延山の奥の院に上っている。
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是より身延山の上にのぼれば、二十余町有。是、奥の院なり。本院のうしろ、奥の院の堂は、いと高き所にあり。其上よりのぞめば、北に富士山、甲府など見へて、美景なり。七面明神の社は、其南に谷を隔、殊に高き山の上に有て、身延山と遠く相望めり。七面まで町より四里有と云。七面山の上に大なる池あり。山の面七所にわかれたる故、七面といへり。奥の院にも八間四面の堂ひとつあり。水呑と云所より、坂いとけはしといふ。
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5月24日、三嶋大社を訪れている。
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三嶋の社は数年前、回禄のわざわひありて、いまだ神殿なし。神領五百三十石有。箱根路をけふこえゆけば、いさゝか感慨のこゝろいできぬ。老の身のなすことなく、才徳のつたなくて、むかしこへし時にかはらぬことを、はぢて思ひなげく。三嶋と箱根の間に伊豆相模のさかひあり。今宵は小田原にやどる。
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5月25日、酒匂川を越える。
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廿五日。夜いまだあけざるに、やどりを出行ば、酒匂の川水ふかくして、川こしのおのこをあまたやとひてわたる。此里を酒匂と云、川を酒匂川と云。しかるに、さかはといへば世俗は川の名とのみおもへるはあやまれり。
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5月25日、藤沢から江の島に渡る。
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藤沢より絵嶋に一里に遠し。潮あさければ船にてわたらず、里人をやとひ、背にをはれてわたり、あなひをつれ、絵嶋明神の社、所々見めぐり、山をこえて竜穴にいたる。いは屋の口はひろくして、よこは四間ばかり、高さは五六間もありなん。
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5月25日、鶴岡八幡宮に参詣している。
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鶴が岡の八幡宮にまいりぬ。神廟はいとたかき所にありて、石階をおほくのぼりゆく。神殿は三葉四葉にみがきたて、所がらいとめでたし。昔しばしば見し事は久しければ、わすれぬ。
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5月26日、貝原益軒は雨の中江戸に入る。
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廿六日。雪の下のやどりを出、建長寺、円覚寺に入ぬ。けふは雨ふり、江戸まで道遠ければ、あはたゞしく出ぬ。それより山の内を過ゆく。道の雨泥ふかくなめらかに、僕も馬も行なやみ、くらの上あやうければ中ごろよりかちにてゆく。道すべりて又なづめり。十塚にいたるまでの艱苦たへがたし。雨いたくふり、河崎には馬もなく、かたがたとゞこほり、日すでに暮て、江戸にはいぬの時につきぬ。
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