小倉百人一首の歌「あらざらむ此の世のほかの思ひ出に今一たびの逢ふこともがな」で知られる。 |
越前守大江雅致の娘。小式部内侍の母。冷泉天皇の第三皇子・為尊親王との熱愛が知られる。 |
和泉式部といふ人こそ、おもしろう書きかはしける。されど、和泉はけしからぬかたこそあれ。うちとけて文はしり書きたるに、そのかたの才(ざえ)ある人、はかない言葉の、にほひも見え侍はべるめり。
『紫式部日記』 |
長保元年(999年)頃までに和泉守橘道貞の妻となる。 長保4年(1002年)6月13日、為尊親王死去。 長保5年(1003年)、為尊親王弟・敦道親王の求愛を受ける。 寛弘年間の末(1008年〜1011年頃)、一条天皇の中宮・藤原彰子に女房として出仕。 長和2年(1013年)頃、藤原保昌と再婚し夫の任国・丹後に下った。 万寿2年(1025年)、娘の小式部内侍が死去。 |
性空上人のもとに、よみてつかはしける
雅致女式部 |
暗(くらき)より暗(くらき)道にぞ入ぬべき遥に照せ山の端の月 |
男に忘られて侍ける頃、貴布禰にまい(ゐ)りて、 御手洗川に蛍の飛び侍けるを見てよめる
和泉式部 |
もの思へば沢のほたるもわが身よりあくがれ出づるたまかとぞ見る |
和泉式部、みちさだにわすられてのち、ほどなく 敦道親王かよふときゝてつかはしける うつろはでしばし信太の杜をみよかへりもぞする葛のうら風 返し
和泉式部
秋風はすごくふくとも葛のはのうらみ顔にはみえじとぞ思ふ |