江戸神田の生まれ。上州佐貫庄五箇村の生まれともいわれ、千代田町に「亀田鵬斉翁誕生之地碑」がある。 |
書を三井親和に、儒学を井上金峨に学ぶ。下町の文人儒者として、経書を講じ多くの書・詩文を作った。著「論語撮解」「善身堂詩鈔」など。 |
文化7年(1810年)4月、亀田鵬斎は小木に着く。7月25日、小木より離島で110日間在島したそうだ。 |
佐原鞠塢は本所に隠居してから菊屋宇兵衛、略して菊宇と称した。それを鵬斎の助言によって鞠塢と改めたそうだ。 |
文化13年(1816年)、『成美家集』序。諫圃・子強校合。久藏補訂。 文化14年(1817年)5月、『曽波可理』(巣兆自撰句集)鵬斎・抱一序序、国村跋。 |
文政元年(1818年)、洞海舎李尺『ありのまゝ』を編集。亀田鵬斎跋。 |
亀田鵬斎は久喜の「遷善館」に招かれて、近郷の子弟教育に多くの影響を与えたという。 羽生市の「古城天満宮」社殿の裏に亀田鵬斎撰文の「羽生菅公廟梅樹記の碑」があるそうだ。 |
兀々陶々六十春 | (兀々陶々六十ノ春) |
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無官無禄自由身 | (官無ク禄無ク自由ノ身) |
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悠然飲酒悠然酔 | (悠然トシテ酒ヲ飲ミ悠然ト酔フ) |
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真是太平無事人 | (真ニ是レ太平無事ノ人ナリ) |
角田川あみして秋の句を得たり 去年今とし我分ちなし呑みつゞけ |