明治44年(1911年)5月15日、東京に生まれる。本名は勇。 昭和14年(1939年)、療養所で同じく結核を患っていた森田愛子と会う。 昭和17年(1942年)、愛子を追って三国を訪れ同居。 昭和18年(1943年)11月15日、高浜虚子は三国を訪れる。 |
十一月十五日。昨夜八時五十分上野より乗車、金沢を過ぎて金津 駅下車。柏翠・愛子・美佐尾の出迎を受け、それより三国に到る。 愛子居。 里人の時雨姿の中にあり 米倉は空しく干鱈少し積み |
昭和20年(1945年)11月5日、高浜虚子は三国町の森田愛子を訪ね、瀧谷寺に吟行。 |
昭和22年(1947年)、愛子死去。 昭和24年(1949年)、三国で料亭「虹屋」開業。 昭和24年(1949年)4月26日、高浜虚子は和倉温泉加賀屋に泊まる。柏翠同行。 昭和28年(1953年)10月7日、山中温泉に高浜虚子の句碑を建立。伊藤柏翠撰文。 |
昭和28年(1953年)10月7日、虚子は柏翠夫妻の案内で明達寺に非無和尚を見舞う。 |
稲の道車を駆りて故人訪ふ 十月七日 非無和尚を明達寺に見舞ふ。立子、柏翠夫妻と共 に。 |
昭和28年(1953年)10月8日、柏翠新婚披露。 |
人の世の虹物語うすれつゝ 十月八日 三国虹屋にて。柏翠新婚披露。永諦の寺にて句会。 |
世移り蘆の中洲はもとのまゝ 十月八日。三國虹屋にて。柏翠新婚披露。永諦の寺にて句會。
『七百五十句時代』 |
昭和31年(1956年)6月5日、高浜虚子は羽黒山に登り、芭蕉の跡を訪ねた「最上川」。途中から伊藤柏翠も同行した。 昭和32年(1957年)10月4日、高浜虚子は敦賀を訪れる。伊藤柏翠も同行。 昭和39年(1964年)5月8日、星野立子は伊藤柏翠居へ。東尋坊吟行。 昭和53年(1978年)10月、弟子屈町に伊藤柏翠の句碑を建立。 |
昭和56年(1981年)より毎年来萩。萩花鳥句会を指導。 昭和60年(1985年)5月、福野花鳥俳句會は高浜虚子の句碑を建立。伊藤柏翠書。 |
昭和62年(1987年)11月、福井県花鳥俳句会・福井県ホトトギス会は伊藤柏翠喜寿に当たり虚子・柏翠・愛子の句碑を建立。 |
落葉踏み又斯る日のありやなし | 柏翠 |
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迎へ傘三国時雨に逢ひにけり | 虚子 |
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啄木鳥や山門までの杉襖 | 愛子 |
平成3年(1991年)7月7日、水見悠々子の句碑を建立。伊藤柏翠撰文。 平成7年(1995年)、「ホトトギス」同人会長に就任。 平成9年(2001年)4月、『ホトトギス』創刊100年、『花鳥』創刊50年を記念して伊藤柏翠の句碑と坊城中子の句碑を建立。 平成11年(1999年)7月、『花鳥』主宰を高浜虚子の孫坊城中子に譲る。 |
虚子独り銀河と共に西に行く | 虚子 |
この潮騒は念佛の声 | 柏翠 |