旅のあれこれ文 学


『後撰和歌集』

村上天皇の下命によって編纂された二番目の勅撰和歌集。

 「梨壺の五人」と称される大中臣能宣・清原元輔・源順・紀時文・坂上望城を撰者とし、天暦5年(951年)に村上天皇の勅命を受け、昭陽舎(梨壺)に撰和歌所が置かれた。

 後撰和歌集巻第六

    秋 中

   題知らず
天智天皇御製
秋の田のかりほのいほの笘を荒みわが衣手は露に濡れつゝ

文屋朝康
白露に風の吹敷(ふきしく)秋の野はつらぬきとめぬ玉ぞ散りける

 後撰和歌集巻第九

    恋 一

   人につかはしける
源ひとしの朝臣
あさぢふの小野の篠原忍れどあまりてなどか人の恋しき

 後撰和歌集巻第十一

    恋 三

   女につかはしける
三条右大臣
名にしおはば相坂山のさねかづら人に知られでくるよしも哉(がな)

   釣殿の皇女(みこ)につかわしける
陽成院御製
筑波嶺の峰より落つるみなの河恋ぞ積もりて淵となりぬる

 後撰和歌集巻第十三

         恋 五

   事出で来てのちに京極御息所につかはしける
元良の親王
わびぬれば今はた同じ難波なる身をつくしても逢はんとぞ思(おもふ)

 後撰和歌集巻第十五

    雑 一

   相坂の関に庵室を作りて住み侍けるに、行き
   交ふ人を見て
蝉 丸
これやこの行くも帰も別つゝ知るも知らぬもあふさかの関

 後撰和歌集巻第十七

    雑 三

   陸奥守にまかり下れりけるに、武隈の松
   枯れて侍けるを見て、小松を植へ(ゑ)継がせ侍て
   任果てて後、又同じ国にまかりなりて、かの
   (さき)の任にへ(ゑ)し松を見侍て
藤原元善の朝臣
(うゑ)し時契(ちぎり)やし剣(けん)武隈の松をふたゝび逢ひ見つる哉

 後撰和歌集巻第十九

    離別 羇旅

   土佐よりまかりのぼりける舟の内にて見侍け
   るに、山の端ならで、月の浪の中より出づる
   やうに見えければ、昔、安倍の仲麿が、唐に
   て、「ふりさけ見れば」といへることを思や
   りて
宮こにて山の端に見し月なれど海より出でて海にこそ入れ

   法皇、宮の滝といふ所御覧じける、御供にて
水ひきの白糸延(は)へて織る機は旅の衣に裁ちや重ねん

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