旅のあれこれ
細川藤孝・忠興ゆかりの地
永禄11年(1568年)、織田信長は足利義昭を奉じて入京、細川藤孝は、暫くして勝龍寺城に入る。 元亀2年(1571年)、勝龍寺城改修。 天正8年(1580年)、藤孝は丹後へ移封。 天正9年(1581年)、細川藤孝・忠興父子は、明智光秀や茶人の津田宗及、連歌師の里村紹巴らを招待して、天橋立で茶会を開催。 天正10年(1582年)6月2日、本能寺の変。細川幽斎は剃髪して雅号を幽斎玄旨とし、田辺城に隠居、忠興に家督を譲った。 天正10年(1582年)6月13日、山崎の合戦。 天正18年(1590年)、細川幽斎は興禅寺に立ち寄った。 慶長5年(1600年)6月、細川忠興が家康の会津征伐に丹後から細川家の軍勢を引きつれて参加。幽斎は500に満たない手勢で丹後田辺城を守る。 慶長15年(1610年)8月20日、死去。享年77。 |
天正6年(1578年)8月、明智光秀の娘玉(ガラシャ)が細川忠興に嫁ぐ。 慶長5年(1600年)、丹後12万石から豊前国中津33万9千石に加増国替となる。 慶長7年(1602年)、小倉城築城。 寛永9年(1632年)、細川忠利は肥後細川家の初代藩主として熊本城に入り、忠興は八代城に入る。 |