旅のあれこれ文 学


合田丁字路ゆかりの地

琴平町桜屋旅館の主人。本名久男。

 明治39年(1906年)10月29日、合田丁字路は香川県仲多度郡琴平町に生まれる。

 昭和21年(1946年)11月10日、琴平公会堂でホトトギス六百号記念四国大会。高浜虚子は桜屋旅館に泊まる。

十一月十日。ホトトギス六百号記念、四国俳句大会。琴平公会堂。
桜屋二泊

 たまたまの紅葉祭に逢ひけるも


 昭和24年(1949年)10月20日、高浜虚子の句碑を建立。



たまたまの紅葉祭に逢ひけるも

 昭和29年(1954年)、ホトトギス同人となる。

 昭和36年(1961年)5月4日、星野立子は高松へ。合田丁字路は桟橋に出迎える。

 昭和41年(1966年)10月、合田丁字路の句碑建立。



金ぴらの祭のあとの紅葉晴

 昭和42年(1967年)、『花の宿』(俳諧の宿桜屋)

   同日 琴幸 合田丁字路句集『花の宿』祝賀

炎暑にも負けず次の歩更に踏み


 昭和42年(1967年)12月10日、高浜年尾は琴平ホトトギス会に参加。

   十二月十日 琴平ホトトギス会 琴平神宮神饌田を見
   る桜屋旅館広間

畦手入神饌田は冬の姿かな

野菊畦に枯れ残り居る神饌田かな

旅人の目を惹く神の冬紅葉

神馬塚へは畦づたひ時雨れつゝ


 昭和43年(1968年)12月7日、高浜年尾は合田丁字路等と共に高松城吟行。

   十二月七日 高松城吟行 合田丁字路他十数名と共に

汐入りの城濠もまた小春風

城址小春松手入など捗りて

枯芝の広き桜の馬場といふ

潮錆びてめぐる城趾や小六月

   十二月八日 琴平ホトトギス会 琴平さくら屋

夜中起きして一と仕事露の宿

葉牡丹を自ら育て冬籠

柿のへた残る枯枝のてりかげり


 昭和47年(1972年)2月、善通寺西院に高浜年尾の句碑を建立。



お遍路の美しければあはれなり

 昭和48年(1973年)12月16日、高浜年尾は琴平ホトトギス大会へ。

   十二月十六日 琴平ホトトギス大会 琴平さくらや

とり戻す日射に日向ぼこつゞけ

猟犬を飼ひ注連作りする暮し


 昭和49年(1974年)12月14日、高浜年尾は琴平ホトトギス大会へ。

   十二月十四日 高松市仏生山吟行 琴平さくらや

枯れ竝めてメタセコイヤの皆高木

古寺に鵯鳴く冬に行き合ひし

   十二月十五日 琴平ホトトギス大会 さくらや

外は寒し宿に残りてゐるばかり


 昭和56年(1981年)9月1日、桜屋旅館閉館。

 昭和63年(1988年)10月10日、合田丁字路の句碑を建立。



大いなる決断をして爽やかに

平成4年(1992年)10月28日、合田丁字路は85歳で没。

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