大正6年(1917年)11月18日 、福井県坂井市三国町に生まれる。 昭和9年(1934年)、福井県立三国高等女学校卒業。 昭和14年(1939年)、伊藤柏翠は療養所で同じく結核を患っていた森田愛子と会う。 昭和17年(1942年)、伊藤柏翠は愛子を追って三国を訪れ同居。 昭和18年(1943年)11月15日、高浜虚子は星野立子と三国を訪れる。 |
十一月十五日。昨夜八時五十分上野より乗車、金沢を過ぎて金津 駅下車。柏翠・愛子・美佐尾の出迎を受け、それより三国に到る。 愛子居。 里人の時雨姿の中にあり 米倉は空しく干鱈少し積み |
森田愛子居。九頭竜川に面した二階間。 次の間の北窓障子風が鳴る |
昭和18年(1943年)11月18日、高浜虚子は山中温泉に遊ぶ。 |
一行と会食。金沢より追ひ来りたる一杉も席に在り。愛子の母わ れを慰めんと唄ひ踊り愛子も亦踊る。 不思議やな汝(な)れが踊れば吾が泣く |
昭和18年(1943年)11月19日、高浜虚子は山中温泉から京都へ。愛子と愛子の母、柏翠は敦賀まで送る。 |
十一月十九日。吉野屋を出で京都柊屋に泊。 敦賀まで送り送られ時雨降る 春水に沿ひ帯の如三国町 |
昭和19年(1944年)10月20日、小諸に虹が立つ。虚子は愛子に句を送る。 |
十月二十日。虹立つ。虹の橋かゝりたらば渡りて鎌倉に行んかと いひし三国の愛子におくる。 浅間かけて虹の立ちたり君知るや 虹かゝり小諸の町の美しさ 虹立ちて忽ち君の在る如し 虹消えて忽ち君の無き如し |
昭和20年(1945年)11月5日、高浜虚子は星野立子と三国町の森田愛子を訪ね、瀧谷寺に吟行。 |
十一月五日。越前三国愛子居。 冬の日をかくし大きな鳶一羽 冬海や漁師は凪げば出るといふ 滝谷寺吟行。 山門の左右に倒れし竹の春 しめりたる落葉の上に又時雨 |
十一月六日。西山泊雲墓参の旅へ。三国港。森田愛子 居。 炬燵より時雨るゝ窓は遠くあり いつせいに何見る人等時雨窓 主客あり即ち時雨愛であへる 雨あしを指して吹雪の時のこと 同日。午後瀧谷寺吟行。 大いなる落葉の山を焼きし跡 風邪の友いたはる心振り返る 境内の明るく桜落葉敷き 湿りたる落葉掃く音はじまりぬ |
昭和22年(1947年)4月1日、29歳で没。性海寺森田家墓所に葬られる。 |
四月一日。病中愛子におくる。 虹の橋渡り交して相見舞ひ 四月二日。愛子死去の報到る。 虹の橋渡り遊ぶも意のまゝに 七月九日。愛子百ヶ日。 無くて過ぐ昼寝の夢に見ることも |
昭和27年(1952年)9月28日、高浜虚子は再び山中温泉を訪れる。29日、愛子七周忌法要。 |
九月二十八日 俳句大会 河鹿荘 さびしかりしよべの十日の月を思ふ 吉野屋の愛子踊りし部屋ぞこれ 九月二十九日 河鹿荘 にて 秋水の音高まりて人を思ふ 三国紅屋にて、愛子七周忌法要 非無、慈童両和尚読経 なにとなく永久(とわ)が助音に露しぐれ |
小説「虹」の主人公の愛子が亡くなつて早や十年経つた。愛子が死んで後、愛居を虹屋と号して料理屋を柏翠がはじめたりしたが、結局それも4よして居を移した。神野寺の稽古会の一つ、大崎会での句。 |
昭和40年(1965年)6月13日、東尋坊に虚子・愛子・柏翠句碑の除幕。 |
雪国の深き庇や寝待月 | 愛子 |
|||||||||
野菊むら東尋坊に咲き乱れ | 虚子 |
|||||||||
日本海秋潮となる頃淋し | 柏翠 |
昭和62年(1987年)11月、福井県花鳥俳句会・福井県ホトトギス会は伊藤柏翠喜寿に当たり虚子・柏翠・愛子の句碑を建立。 |
落葉踏み又斯る日のありやなし | 柏翠 |
迎へ傘三国時雨に逢ひにけり | 虚子 |
啄木鳥や山門までの杉襖 | 愛子 |