この碑は、封建鎖国の時代にありながら、時代を超えて世界の動向に目覚め統一国家日本を念願し、北の果て青森県まで足を運んだ、吉田松陰の足跡を軸に、津軽南部の史跡文化等を図示したものである。 |
薄暮、舟を発し、遥かに青森の神田岳を望み、右に蟹田・大浜の諸浦を視て、暁に青森に達す。舟航八里。人家未だ起きず、舟中も又寒烈にして居るべからざるを以て、海濱の船鋪に入りて眠る。雪霰繽紛たり。青森は一大灣港なり、宜しく軍艦數十隻を備へ以て非常に備ふべし。 七日 天氣昨の如し。夜明、青森の市中に入りて食し、野内に至る、關あり。栗坂・麻蒸・土屋・中野・山口・藤澤の諸村を經て小湊に出づ、亦關あり。 |
青森にては、桂井旅館を定宿としたるが、大町といふ処にあり、その町名屋号は、余の姓名、雅号と下の一字が異なるだけ也、一配達夫余に宛てたる郵便をもち来たり、小首かたむけて、こんな人が本当にあるのかと問へりとて、宿の番頭笑えり。 (紀行文 陸奥の海岸線。四章 竜飛崎より抜粋) |