天明8年(1788年)7月6日、菅江真澄は雷電宮の大鳥居を見ている。 |
路いさゝかくれば堀刺川をわたり、口広、清水(シヅ)川のふた村をへて雷電山といふ額の大鳥居あり。大同のむかしに田村麿、かんときまつりして、なる神を、こゝに斎ひ給ひたるといひ伝ふ。その御前の入江などにて、あさり、はまぐりやとらん、そのかひつもの、いと多くみちのへに捨たり。
『率土か浜つたひ』(そとがはまづたい) |
寛政8年(1796年)1月14日、菅江真澄は雷電宮に夜籠りした。 |
十四日 この夜、雷電の祠に夜ごもりはせりけり、その、いほそくらの法螺ふく声いと高し。神明の社にぬさとりその林に入れば、さばかり広きみなとは、なから厚氷のゐたるに雪ふりかゝりたるうへを、氷(シガ)渡すといひて、ふみしだき渡りぬ。大空の霞たるやうに月の朧なる長閑さ。 のどけしなみまえへは春になるかみのみたらし川はまだ氷るとも
『津可呂の奥』(つがろのおく) |
大正11年(1922年)3月、平内町の海岸一帯は「小湊のハクチョウおよびその飛来地」として「天然記念物」 に指定される。 |
白鳥の |
|
羽音と共に |
|
千代までも |
|
御陵威絶えせぬ |
|
いかづちの宮 |
日本武尊の御墓より白鳥飛び出せりとは、書物の上に知れるのみにて、今の世、内地にては、実地に白鳥を見るに由なきが、唯一箇所あり、陸奥の小湊これ也。 東北本線を取りて野辺地駅を過ぐれば、右に野辺地湾を見る。小湊駅に下り、小湊の小市街を過ぎて、駅より凡そ一里ばかりの処に、雷電橋かゝる。こゝは汐立川の野辺地湾に入らむとする処也。橋を渡れば、川に接して、雷電の祠、杉林に囲まる。田村将軍の勧請に係ると云ひ伝ふ。昔、津軽の七戸修理、こゝにて南部勢と戦ひしに、白鳥敵に向ひて群飛す。敵は大勢到ると思ひて敗走せり。これより白鳥を雷電神社の神鳥として尊重し、之を捕ふることを厳禁したりければ、今日もなほこゝに白鳥を見るを得る也。大正11年に至りて、史跡名称天然記念物保存地となりたれば、白鳥はいよいよ以て安全也。
「陸奥の海岸線」(白鳥の保護地)
|