私は机に向かうとき一尾の鮎を念頭に置いている。できれば鮎のような姿の作品が書きたい。無駄な装飾のない、簡潔な、すっきりとした作品。 |
三浦哲郎は、昭和6年、八戸市三日町で、父壮介、母いとの三男として生まれる。八戸高等学校を卒業し、昭和24年、早稲田大学に入学する。翌年に退学帰郷し、白銀中学校の助教諭となり2年間勤務する。昭和28年、文学を志願し再び早稲田大学の仏文科に進み、在学中に「十五歳の周囲」で第2回新潮同人雑誌賞を受ける。 昭和36年2月、29歳の時、「忍ぶ川」により第44回芥川賞を受け、作家としての地歩を固める。その後、野間文芸賞や日本文学大賞を始めとする数々の文学賞を受賞し、とりわけ川端康成文学賞を二度受賞して、短編小説の名手と称される。八戸市の名誉市民で、青森県人初の芸術院会員でもある。 本「三浦哲郎文学碑」は、三浦哲郎の二基目の文学碑で、平成9年3月16日、66回目の誕生日に除幕式が行われた。碑文は、随筆「一尾の鮎」の冒頭の文にちなんだもので、小説を書く時の願望や自戒の念が表出されている。 本文学碑の周辺は、母校である八戸国民学校(現八戸小学校)や芥川賞受賞祝賀会の行われた市民会館の跡地である。また、三八城公園は、少年時代に遊び親しんだ思い出深いゆかりの地でもある。 尚、三日町の生家跡には、「三浦哲郎生誕の碑」が建てられている。 平成20年6月16日
八 戸 市
三浦哲郎文学顕彰協議会 |