昔の旅日記青 森

八甲田〜靫 草〜
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 田代湿原から県道40号青森田代十和田線に戻り、雪中行軍遭難記念碑に向かう。


 明治35年1月23日午前6時55分、陸軍歩兵大尉−神成文吉率いる210名の一隊は田代元湯温良へ向かった。

 その途上において猛吹雪に遭い、3昼夜にわたり孤立し、辛うじて救助され方者が、わずか19名、193名が凍死した大遭難事件である。

駐車場に車を停めて、広くて長い坂道を上る。

坂道の脇に馬の脚形(うまのあしがた)が咲いていた。


歩兵第五聯隊第二大隊遭難記念碑
(八甲田山雪中行軍遭難後藤伍長銅像)
遭難記念碑

 惨状を連隊に報告するべく、指揮官神成大尉の命をうけた後藤房之助伍長が、出発以来5日目の27日正午、豪雪の中、仮死状態のまま佇立しているところを捜索隊に発見された。

後藤伍長銅像

 村上其一軍医の手当により11分後に蘇生し、そのかすかな発言により遭難事件のあらましが明らかになった。

 銅像は明治37年10月23日竣工したが、日露戦争中のことであり、軍当局の配慮から明治39年7月23日、軍・官・民・それに遺族ら多数の人々の参列のうちに除幕式が執り行われた。

後藤伍長銅像の辺りには靫草(うつぼぐさ)が咲いていた。


大遭難事件があったとは思えないようなのどかな所だった。

北国の冬山は恐ろしい。

 雪中行軍遭難記念碑から県道40号青森田代十和田線を行くと、国道103号に出る。

国道103号で酸ヶ湯温泉に向かう。


酸ヶ湯温泉の標高は約900m。

「酸ヶ湯温泉旅館」は一軒宿とはいっても、1,000名収容という大きな宿。
「酸ヶ湯温泉旅館」

人も車もいっぱい。

「酸ヶ湯温泉旅館」自炊棟
「酸ヶ湯温泉旅館」自炊棟

酸ヶ湯温泉はまた来る機会もあるだろう。

今日は青荷温泉に向かう。

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