2020年秋 田

横手公園〜石坂洋次郎文学碑〜
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横手市城山町の高台に横手公園がある。

駐車場から見る横手城


横手城跡

 横手城は、天文・弘治年間(1532〜1557)に小野寺氏によって築城されたと伝えらえれ、別名を「朝倉城」とも、また、戦国時代に城の主郭の斜面にニラを植えたことから「韮城」とも呼ばれた。

 城は、関ヶ原の合戦後、城主・小野寺義道が反徳川方にあったと見られ、石見国(現島根県)に配流され、慶長7年(1602年)に佐竹氏が藩主になってからは久保田の支城として城代が置かれた。城代は伊達氏、須田氏を経て、寛文12年(1672年)からは戸村氏が勤めた。

 慶應4年(1868年)、戊辰戦争の合戦で、横手城は庄内、仙台、山形の藩兵の攻撃を受け、炎上し、藩士及び藩卒21名が戦死した。この霊は今も龍昌院に眠っている。

 戊辰戦役後、明治5年(1872年)、城郭は陸軍省に収納された。当時城址は荒れ果てており、これを見かねた旧士族6人が6百円で払い下げを受け、そして明治12年に秋田神社の分社を建立遷宮し、城址一帯を当時の横手町に寄付した。町ではここを横手公園として整備した。

横手市教育委員会
横手文化財保護協会

小野寺氏彰徳碑


 秋田県南に精力を持っていた戦国大名小野寺氏の徳を顕彰するため、昭和11年(1936年)に横手町長及び横手郷土史編集会等が建立した。

 小野寺氏は平安時代後半に下野国下都賀郡小野寺に発し、文治5年(1189年)の奥州合戦による戦功で出羽雄勝郡などの地頭職を得た。南北朝時代に、出羽雄勝郡稲庭に移住し、さらに沼館城、湯沢城へと移り、その後、輝道がこの地に横手城を築城し県南の拠点とした。

 輝道の子義道の時代に最盛期を迎え、天正18年(1590年)の豊臣秀吉による奥州仕置時には5万石余に換算できる力を持っていたが、奥州仕置で所領の3分の1を削られた。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで西軍に味方したと見なされたため、慶長6年(1601年)には改易されたうえ、石見国津和野(島根県津和野町)に預けられた。

横手まちの案内人ふきのとう会
横手市教育委員会

横手城


 慶応4年(1868年)8月11日、庄内藩一番大隊は、十文字を出発して、羽州街道を北上、横手城の大手に向かった。二番大隊は浅舞道を城の搦手に向かった。

明治40年(1907年)9月11日、河東碧梧桐は横手公園に上る。

 九月十一日。半晴。

 横手公園に上る。城代某氏の砦の跡じゃ。


本丸に向かうと、石坂洋次郎の文学碑があった。


小さな完成よりも
あなたの孕んでいる
未完成の方がはるかに
大きなものがある
ことを忘れてはならな
いと思う(「若い人」)

 明治33年(1900年)1月25日、石坂洋次郎は弘前市代官町に生まれる。
 大正15年(1926年)、秋田県立横手高等女学校(現在の秋田県立横手城南高等学校)に勤務。
 昭和8年(1933年)8月から昭和12年(1937年12月まで『三田文学』に『若い人』が断続連載される。
 昭和22年(1947年)6月9日から10月4日の「朝日新聞」に『青い山脈』が連載される。
 昭和24年(1949年)、映画『青い山脈』の主題歌として「青い山脈」(西條八十作詞)発表。
 昭和32年(1957年)12月から昭和33年(1958年)10月まで「読売新聞」に『陽のあたる坂道』連載。
 昭和51年(1976年)4月、文学碑建立。
 昭和61年(1986年)10月7日、伊東市の自宅で死去。

本丸へ。


横手城本丸址

 横手城は、奥羽山脈の山並みが横手盆地に舌状に張り出した先端部に築かれ、大手筋(城の正門へ通じる道)の七曲坂入口から大手門まで比高37.7m、そこから本丸の表門まで比高8.7mの高さがある。

 弘治〜永禄年間(1550〜1560年代)に最初にここに拠点を築いたのは戦国大名小野寺氏だが、現在見ることができるのは慶長7年(1602年)佐竹氏が秋田に入って整備しなおした後の姿である。本丸の広さは、南北43間東西26間(78m×47m)ほどである。

 佐竹氏は本拠地の久保田城(秋田市)と同様に、横手でも天守を築くことはなかった。本丸御殿と呼ばれる5つの入母屋屋根で覆われたひとつながりの大規模な建物が、万治元年(1658年)頃までに徐々に整備されたが、これらの建物は、戊辰戦争の際に焼失した。

横手まちの案内人ふきのとう会
横手市教育委員会

秋田神社


 秋田神社は、戊辰戦争の戦没者供養のため明治12年11月2日に秋田市の秋田神社を分社して建立された。分霊を迎えるにあたり、「旧士族、卒、残らず新坂までお迎えに出頭、参詣の老若男女数知れず、誠に大賑わいなり」という記録が残されている。

 当初の祭神は、秋田藩祖の佐竹義宣、最後の藩主の佐竹義堯だが、後に大山祇神、三吉大明神が合資された。

本丸址から見る横手城


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