潟尻明神ともいい、1769年、秋田藩士益戸滄洲によって漢槎宮と命名されたことから、この田沢湖のことを漢槎湖あるいはただ槎湖と呼ぶようになりました。拝殿正面に揚げられた漢槎宮の扁額は滄洲が遊覧のおり、船頭をつとめた少年斉藤千太郎に書き与えたものです。
秋田県西木村観光協会 |
みつうみの夕の水の落つるなり |
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家七つある潟しりのむら |
小杉放庵(本名國太郎、画家、歌人)は、明治14年栃木県日光に生れる。大正11年、森田恒友らと春陽会を創立。 昭和4年8月、橋本関雪や山中蘭径らと田沢湖を訪れ潟尻に遊んだ。往事の潟尻は田沢湖から流れる潟尻川の清流を中心にひらけ、漁業、製炭などを生業としておだやかな生活が営まれていた。 この頃の潟尻川は広い河口をゆっくりと流れ、潟尻橋のあたりから激しい急流となって檜木内川にそそいでいたのである。 |
平成17年(2005年)、西木村は角館町・田沢湖町と合併して仙北市西木町となった。 |