文化元年(1804年)8月21日 雄潟の渡しで天王から船越を経て寒風山に登る。 昔、この寒風山の名を妻恋山・また羽吹風(はぶかぜ)山ともいったということである。ようやく、よじ登ってみると、八尺あまりの九層の石塔がある。どのくらい年数を経たものであろうか、そこに苔など生いひろがっている。この塔のそばに倒れている近世の石碑に、梵字がかすがに見られた。 右手の谷に岩山があり、そのあたりの落窪になっているところを旧珠(ふるたま)の池といい、大蛇が通ったという大岩がある。この寒風山の麓は、湖と海にとりまかれていて、ちょうど近江国(滋賀県)の伊吹山に登り、左方に毛無山、右方に貝津、山本山など見わたしたようで、三千世界の一望のうちに尽きるとも思われ、すばらしい眺望であった。 |