延暦年間、坂上田村麻呂の「東夷征討」の折、伊豆山に立寄り夷賊平定を祈願。その後夷賊平定の報餐として社殿を造営し、大同2年(807年)6月15日、鎮座祭が執行されたそうだ。 |
各町内で作られた色鮮やかな梵天が、町内をねり歩いた後、雄物川の対岸にある高い山に鎮座する伊豆山神社本宮に奉納される。神社を目指して渡し舟で川を渡り、急勾配の参道を登り、神社の前では奉納のためのもみ合いが行われる。川を渡る梵天は全国的にも珍しく、静かな川面に映える梵天と周囲の雪景色が織りなす光景は華麗なまるで絵巻のようである。 |
枳北は斎藤勘左エ門忠衛の雅号。『韓詩外伝』の「江南の橘江北の枳となる」による。 |