2019年秋 田

御座石神社〜石井露月の句碑〜
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たつこ像から御座石神社へ。

潟頭の霊泉

 永遠に変わらぬ美しさを求め、院内の大蔵観音に願をかけた辰子が満願の日、神のお告げによってこの泉の水を飲み、龍神と化したと伝えられます。

秋田県仙北市

田沢湖畔に石井露月の句碑があった。


  波打越しぬ
秋と云ヘバ
    御座の石

石井露月句碑

 子規門下の四天王といわれた俳人石井露月(本名祐治、露月山人、南瓜道人と称す)は、明治6年5月17日、秋田県河辺郡戸米川村(現在、雄和町)に生れる。旧制秋田中学中退後上京、正岡子規に師事し、新聞「日本」の記者となる。

 医学を学び、医師試験に合格帰郷して開業する。その後子規の命名を得て秋田から「俳星」を創刊し、明治、大正の県俳壇に大きな足跡をしるした。

 この句は、明治42年秋、潟尻から御座の石に遊んだときのもので、このほかに、「コスモスや村の名問へば潟尻と」、「湖成りし神話も果てて天の川」などがある。

   秋と云ヘば波打越しぬ御座の石

西木村

昭和3年(1928年)9月18日、石井露月没。

九月十八日。石井露月逝く。

 糸瓜忌の一日前の南瓜佛


御座石神社の鳥居


御座石神社


 御祭神 事代主神・綿津見神・龍子姫神

御 由 緒

 遠く往古より世に知られ、雅名を槎湖と云い、又辰子潟とも呼ばれている此の田沢湖の湖畔第一の名勝地に鎮座する当神社の由来は、今より凡そ600年前室町時代に熊野権現を信奉する巡錫の修験者が此処を撰び湖岸在る畳の如き平坦な岩頭に於て修行、湖主竜神に神通せんと水想観の蘊奥を究め一祠を創建して修験の座としたと云う縁起に因ると伝えられいる。

 爾来霊顕あらたかにして、湖中に金物一切を禁じ、四季七種の木々生える神秘な雨乞石に手を触るる時、湖は荒び晴天忽ち雷風雨を呼ぶとされ、神威は此処に永遠に鎮められたものである。

 古来湖水に斎戒沐浴して竜神を信仰すれば美人は益々美を増し、醜女悉く美貌になると伝えられる。

 千古の湖、神秘境鎮護の一宮として朝野の崇敬厚く由緒深い神域である。

たつ子姫像


自らの身を湖に沈め、永遠の美と若さを祈願して龍に化身した「たつ子姫」は、美の守り神として「御座石神社」に永遠(とこし)えに鎮められたのです。

古来湖水に斎戒沐浴して龍神「たつ子姫」を信仰すれば、その人の美しさ、若さは益々光り輝くと伝えられます。

御座石神社

御座石らしい。


 御座石神社は混浴露天風呂連続殺人第5作「湯けむりに消えた女三人旅」、第17作「謎の整形美女を追って列島温泉大縦断」のロケ地である。

田沢湖町に向かうと、平福百穂の歌碑があった。

平福百穂歌碑


昔由国乎左加比寸嶺乃上
岩手秋田能国遠界須

角館の人平福百輔は、日本画の巨匠として、またアララギ派の歌人として知られているが、田沢湖を深く愛し、辰子伝説を墨絵に描き、また白浜や御座石の美しい風景を短歌に詠んだ。また広い交友を通じて多くの歌人や俳人や画家が田沢湖を訪れたのである。

碑面の歌は大正15年画伯が国境の仙岩峠を越えてふるさとに帰ったときに、陽春5月の山なみを眺めて作った一連の歌の1首である。

万葉仮名で書かれた文字は百輔の自筆のものである。

   いにしえゆ国をさかひす嶺のうえ
   岩手秋田の国を界す   寒竹集

昭和9年9月、大曲の文人赤川菊村、田口松圃らによって建立された。当時、村の学童たちが力を合わせて、碑を運んだ。

田沢湖町

 平成17年(2005年)、田沢湖町は角館町、西木村と合併し、仙北市田沢湖となった。

蒸の湯温泉へ。

2019年秋 田