江戸時代の紀行家菅江真澄(1754〜1829)は、文化4年(1807)に十和田湖などを目的地として鹿角地方を旅し、「十和田湖」(とわだのうみ)という著作にまとめました。十和田湖に向かう途中(8月20日)に「七滝」立ち寄った真澄は、2首の短歌とスケッチを、この著作の中に残しています。 |
山坂下りて藤原といふ村のあり。こゝをいさゝかゆけば、みちよりはめてに近う杉のいや生ひ茂れる中に、七級(ナゝキタ)におつる滝あり。麓に七滝明神といふ神のおはしませり。みねを長滝山とて観世音の堂あり。村もむかしはありつるよし。その七滝の神は、おほひなるをろちにてすめるとなん。此嶺に鷹居場といふ処あり。カド石を産(イタ)す。文理(アヤ)ありてよき白玉なり。滝はいとおもしろし。 春はさぞおちも寄りなんいやたかき花の藤原ななのたきなみ 生ひしげる山のふぢはらいはがねにまつはりかゝる滝のしら糸
『十和田湖』(とわだのうみ) |
明治35年頃から昭和42年までの65年の間、小坂鉱山の銅精錬に伴う排煙に含まれる亜硫酸ガスにより、小坂町のほぼ全域と鹿角市大湯の国有林に約2万2千haの森林が裸地化するなどの被害を受けました。 煙害地復旧事業のひとつとして、ニセアカシア等の植え付けを実施してきたそうだ。 |
鉛山という処まで船、それから一里の上りを上って、約五里の下りを一気に下り、午後四時小阪銀山町に着く。脱硫塔の鼻をさす烟の匂いは足尾以来である。 |