与謝野晶子の歌碑
与謝野鉄幹の歌碑
『与謝野寛遺稿歌集』
明治6年(1873年)2月26日、京都府岡崎町(現:京都府京都市左京区岡崎)に生まれる。 明治26年(1893年)、落合直文が浅香社を結成。 明治32年(1899年)11月11日、東京新詩社創立。 明治34年(1901年)、与謝野鉄幹は麹町から道玄坂に移り住む。 明治35年(1902年)11月9日、石川啄木は東京新詩社を訪問して初めて与謝野鉄幹に接し、翌日与謝野晶子に会う。 明治37年(1904年)11月、千駄ヶ谷に移る。 明治40年(1907年)7月28日から8月27日まで、与謝野寛、北原白秋、木下杢太郎、吉井勇、平野万里の5人で九州西部を中心に約1ヶ月の旅した。『五足の靴』 明治42年(1909年)4月15日、山川登美子は31歳で没。 大正8年(1919年)、慶應義塾大学文学部教授に就任。 大正12年(1923年)2月26日、帝國ホテルで與謝野寛生誕五十年の祝宴。 |
帝國ホテルにて與謝野寛誕辰五十年の祝宴あり。 |
昭和10年(1935年)3月26日、62歳で没。 |
うちひさす都もさびしかへり來れば與謝野の大人(うし)はすでにおはさず
『天 彦』 |