与謝野晶子の歌碑
古町温泉「せゝらぎの湯宿満寿家」
東北自動車道の西那須野塩原ICから国道400号で箒川に沿って、塩原温泉郷へ。 |
明治43年(1910年)10月、与謝野寛・晶子夫妻は塩原温泉に吟行。 昭和9年(1934年)5月12日、与謝野寛・晶子夫妻は塩原に吟行、満寿家に泊まる。 |
今日遊ぶ高き渓間の路尽きず山の現る空の現る |
眞夜中の鹽原山の冷たさを假りにわが知る洞門のみち 紅葉の清琴樓の殘れるは五月ざくらに似てあはれなり 古町はふもとのごとく山低し川霧のいろ哀れなれども 古町の湯場福渡のあひだにも李花を凌げり山路のさくら
「いぬあじさゐ」 |
塩原温泉郷の古町温泉「ホテルニューますや」に与謝野鉄幹・晶子の「おしどり歌碑」があるというので探したが、「ホテルニューますや」は見つからない。「せゝらぎの湯宿満寿家」になっていた。 |
今日遊ぶ高き渓間の路尽きず山のあらはる空のあらはる | 寛 |
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真夜中の塩原山の冷たさを仮にわが知る洞門の道 | 晶子 |
塩原満寿家への「おしどり旅行」は明治43年(1910年)10月、昭和9年(1934年)5月の2回。晶子は90余首の塩原諷詠を宿に残しているそうだ。 塩原での歌は雑誌「冬柏」(第5巻・第6号)に鉄幹41首、昌子59首が収められている。 |
大正2年(1913年)6月15日、東洋大学の創設者井上円了は塩原温泉を訪れ、福渡温泉「桝屋旅館」に泊まっている。 |
当日は大網を経て福渡に至り、桝屋旅館に投宿す。桝屋のつぎに丸屋、和泉屋、松屋あり。いずれも塩原中屈指の旅館にして、みな内湯あり。 |
桝屋一名満寿屋は箒川に望み、塩渓第一の奇勝と呼ばるる天狗岩に隣接し、樹色石影ともに軒に映じ、波高水声ともに窓に入り、風光すこぶる秀霊なり。 |