小生9日より今朝まで当地滞在(内、3日戸倉温泉)、今朝松代に向ひ明日半折会、明後18日小諸に到り、多分その日すぐ星野温泉に行つて小諸分の揮毫をなすことゝなり、20日か21日に再び引返して歌会半折会をやり、21日か22日に其処松本在浅間温泉に行かうときめてゐした、
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慌ただしいことだ。
大正10年(1921年)、星野温泉で自由教育夏季講習会が開かれ、山本鼎、北原白秋、島崎藤村、鈴木三重吉らが講師として参加。北原白秋は「落葉松」を発表。
大正12年(1923年)、北原白秋は別所温泉から追分、沓掛、そして星野温泉を経て碓氷を越えている。
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信濃旅情
大正12年4月、妻子を伴ひ、信濃小県郡の大屋に義弟山本鼎の経営に成る農民美術研究所の開所式に臨む。旁々(かたがた)七久里の別所、或は追分沓掛等に淹留(えんりう)、碓氷を越えて下る。
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製材の響けざむき渓沿(たにぞひ)は夕附き早し材小屋(きごや)が二つ
『海阪(うなざか)』 |
残念ながら平成15年(2003年)8月に「星野温泉ホテル」は閉館したそうだ。
お風呂に入っておけばよかった。
平成17年(2005年)7月、「星のや軽井沢」として営業。
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