与謝野晶子の歌碑
椿山房三国路与謝野晶子紀行文学館
〜若山牧水の文学碑〜
「猿ヶ京ホテル」から100メートルほど入ると、「椿山房(つばきさんぼう)三国路与謝野晶子紀行文学館」(HP)がある。 |
以前は「三国路紀行文学館」だったが、平成13年(2001年)4月8日に館名を変更した。 |
大正11年(1922年)10月22日、若山牧水は法師温泉を訪れる。 「椿山房三国路与謝野晶子紀行文学館」の入り口には若山牧水の文学碑がある。 |
昭和6年(1931年)9月4日、与謝野寛、晶子夫妻は法師温泉に3泊。永井宿三国峠に遊んだ。 |
「椿山房三国路与謝野晶子紀行文学館」の前に与謝野晶子と与謝野寛の歌碑がある。 |
こすもすと菊ダリヤなど少し咲き里人は云ふ猿ヶ京城 | 晶子 |
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霧ふかし路は空にも入りたるや一音の雷子の国に鳴る | 寛 |
平成5年(1993年)3月、晶子没後50周年を記念して晶子六女森藤子の揮毫により建立。 |
昭和10年(1935年)3月26日、鉄幹は肺炎で亡くなる。 昭和14年(1939年)11月4日、与謝野晶子は沼田から再び猿ヶ京温泉笹の湯に泊まる。翌5日に法師温泉を訪れ、笹の湯に泊まった。 |
身をめぐり泡雪のごと湯の絮(わた)の深山の秋の温泉 みやびかに笹の舊湯が紅葉著て住へる溪に靡く霧かな 寂しくも越路に近き笹の湯の笹鳴るほどの夜の時雨聞く |
猿ヶ京温泉と言っても、現在の猿ヶ京温泉ではない。当時は笹の湯・湯島温泉と呼ばれていたが、昭和33年(1958年)ダム建設のために赤谷湖の湖底に沈んでしまった。 |