与謝野晶子の歌碑
〜一碧湖〜
昭和5年(1930年)元日、与謝野寛、晶子夫妻は初めて伊東に歌を詠みに行く。浜辺に近い「東流館」に泊まった。 |
一碧湖とは小室の大池の新稱である。町から南へ一里の山中にあるので見に行つたが、霜融の泥濘に困つて、途中の山から其の一部を眺めただけで引返した。
『伊豆の旅』 |
昭和5年(1930年)10月11日、初めて「抛書山荘」を訪問。 昭和7年(1932年)11月28日、与謝野晶子は「抛書山荘」に2泊。鉄幹は風邪で同行しなかった。 椿山房三国路与謝野晶子紀行文学館で「抛書山荘」の日本間を一部再現している。 |
昭和9年(1934年)の歌で、『冬柏』5卷7号の「ホトトギスとイチゴ四」の39首の中にある。 昭和9年(1934年)6月6日、与謝野晶子・鉄幹は伊東「抛書山荘」に2泊。 |
昭和12年(1937年)の作で、『冬柏』8卷4号の「幽歩抄一」の69首の中にある。 昭和12年(1937年)10月8日、与謝野晶子は伊東「抛書山荘」に2泊。11日、修善寺温泉から浄蓮の滝を訪れ、湯ヶ島温泉「落合楼」に泊まった。 与謝野鉄幹・晶子先生は、明治、大正、昭和を代表する歌人としてその作品は多くの共感、感動を人に与えております。 御夫妻は昭和初期、汽船で伊東港に着き、出湯の風物を楽しまれながら、特にこの一碧湖を憩いと創作の地としてよくたずね、透明な感覚から天城や湖水の美しさを数多く歌われています。 この碑は、湖の自然をいつまでも護る願いもこめて、先生御遺族をはじめ、門弟であり、かつて対岸にあった抛書山荘の島谷静子氏等ゆかりの方々の御教示をいただき建立しました。 昭和51年秋 |
昭和11年(1936年)4月20日、種田山頭火は伊東から下田に向かう途中で一碧胡を通りがかる。 |
川奈ゴルフ場、一碧胡、富戸の俎岩、光の村、等々を横目で眺めつつ通り過ぎる、雑木林が美しい、天城連山が尊い、山うぐいすが有難い。 |