永仁2年(1294年)、日像菩薩により真言宗により日蓮宗に改宗。 天文年間(1535年)、中興日勢上人正悦山妙行寺と改稱再興。 慶長15年(1610年)、清正公名古屋城築城の砌、普請小屋を貰いうけて御先祖・御両親の菩提を弔う為に、堂宇を此処誕生の地に建立す。 清正公堂安置の御尊像は肥後本妙寺第三世日遥上人の作なり。 |
清正は幼名を虎之助といい、永禄5年(1562年)この地に生まれたといわれる。天正(1573〜)のはじめ秀吉に仕え、数々の武功をたてた。とくに賤ヶ岳の七本槍は有名である。のちに肥後国(熊本県)54万石の領主となった。 慶長15年(1610年)名古屋城築城の時、自分の生誕地に城の余材をもって妙行寺を再建したと伝えられている。寺内には、秦鼎の撰文「清正旧里之碑」がある。
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