此の井戸は秀吉公生誕の当時近郷に類のない清水の溢れる井戸と伝えられております。 此処に秀吉の依頼によって寺を建立した時この清泉の涌出を意味として常泉寺の寺号を定めたと当山の縁起書に記されております。 昭和40年代に入り市の発展に伴い地下水の変動で常泉も枯れるに至り多くの人々が元の姿に戻すことを希っておりました。 年号改元を機に常泉寺の名のとおりの再現を試み清泉がよみがえりました。 滝に落下する後の石は千成瓢箪にちなんで「萬成石」が使用してあります。 |
秀吉は(1590年)小田原城攻め凱陣の時、此の地に立ち寄りて一宿される。小早川隆景・加藤清正を呼召され、寺の建立ありたしと見れば、私11才の時植え置いた柊(1547年)が繁茂せり、柊は鬼神も恐れる吉祥の樹なり大切に致すべしとして、手づから竹を立添えられる。以来「幹」が衰えても下枝が育ちを繰り返しながら現在に至る。 |
昭和37年(1962年)11月17日、高浜年尾は常泉寺で名古屋ホトトギス会。 |
十一月十七日 名古屋ホトトギス会 中村太閤山常泉寺 柊の花散りつぐよ香をこぼし 散り敷ける柊の花にも虻が 香の強き花柊にして古木 |