国道257号から県道32号鳳来東栄線(伊那街道)に入り、鳳来寺に立ち寄ることにした。 |
春雨の石佛みんな濡れたまふ |
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水音の千年万季ながるる |
さらに電車で鳳来山へ。―― 駅からお山まで一キロ、そこからお寺(本堂)まで一キロ。 石段――その古風なのがよろしい――何千段、老杉しんしんと並び立つてゐる、水音が絶えない、霧、折からの鐘声もありがたかつた。 本堂前の広場でおべんたうをひらいて一杯いただいた。 |
昭和63年(1988年)10月11日、三河知多山頭火の会建立。岡島良平揮毫。 『山頭火句碑集』(防府山頭火研究会)によれば、82番目の山頭火句碑である。 |
大正12年(1923年)、若山牧水は鳳来山を訪れている。 |
峡のうす雲 三河鳳来山にて 降り入れる雨のひびきをわが聞くやわがまなかひの雨のひびきを 降り入りて森とよもせる雨のなかに啼きすましたる何の鳥ぞも 水恋鳥とひとぞをしへし燃ゆる火のくれなゐの羽根の水恋鳥と
『黒松』 |
牧水は大正13年7月、鳳来寺を訪れ医王院に5日滞在しました。そして大正15年6月、再び鳳来寺を訪ね、小松家に1泊しました。牧水が鳳来寺を訪れた時に残した |
という歌を刻んだ碑が、松高院の上の左側の岩の壁にはめ込んであります。 |
昭和33年(1958年)10月、中村草田男は鳳来寺山を訪れている。 |
鳳来寺山にて 仏法僧子泣く熱風呂すぐ埋めよ |
江戸時代の有名な俳人松尾芭蕉が鳳来寺を訪れたのは、今から300年あまり前の元禄4年の10月下旬のことでした。 前日、新城に住む弟子太田白雪の家に泊まった芭蕉は、弟子たちを連れて鳳来寺へ参詣に来ました。急な坂道の途中で足を休め |
という句をよみました。現在、山道の石段を100段ほど上った左側に、この木枯しの句碑が立てられています。 たいへん寒い日だったので冷えたためか、芭蕉は持病がひどくなり、頂上まで登らずに引き返し、表参道にあった家根屋という宿屋に泊りました。この宿で芭蕉は |
という句をよみました。この夜着の句碑の立てられているところが、家根屋のあった跡です。 |
みかはの国鳳来寺に |
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詣道のほどより例 |
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の病おこりて麓 |
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の宿に一夜を明すとて |
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夜着ひとつ祈出して旅寝かな |
元禄4年(1691年)9月22日、芭蕉は膳所義仲寺を後にして江戸へ旅立つ。途中で鳳来寺に立ち寄った。 |
鳳来寺 トンネルいくつおりたところが木の芽の雨 ・ここからお山のさくらまんかい たたずめは山気しんしんせまる 春雨の石仏みんな濡れたまふ ・石段のぼりつくしてほつと水をいたゞく ・人声もなく散りしいて白椿(薬師院) ・霧雨のお山は濡れてのぼる ・お山しづくする真実不虚 ・山の青さ大いなる御仏おはす 水があふれて水が音たてゝ、しづか ・山霧のふかくも苔の花 ずんぶりぬれてならんで石仏たちは 水が龍となる頂ちかくも ・水音の千年万年ながるる ・石だん一だん一だんの水音 霽れるよりお山のてふてふ |
鳳来寺坂中の吟 |
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こがらしに岩吹きとがる杉間かな |
こがらしに岩吹きとがる杉間かな |
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夜着ひとつ祈出して旅寝かな |
芭蕉は元禄4年(1691年)閏10月23日新城在住の太田白雪に案内され、鳳来寺山に登山した。天野桃隣・各務支考、白雪の子桃先・桃後らがこれに従った。木枯らしの句は芭蕉がセバイシという所を通った時、即座に詠ぜられたという。 |
白雪 四五本の松を小楯や雉子のこゑ 桃先 疵のつく木末木末や秋の風 桃後 節季候の拍子をぬかす空家かな |
仁王門にさしかかった頃、芭蕉の持病が激しく痛み出した。一行は止むなく下山、麓の家根屋という宿屋に無理に頼んで泊めてもらった。この日は鳳来寺の秋祭りで、どの家も満員だった。あたえられたその部屋は風が吹き抜け布団もお粗末だった。弟子供は夜道を奔走し、やっと山中の一□から、夜着(掛け布団の一種)を1枚借りることが出来た。その時に作られたのが。夜着塚の句であつ□ |
元禄13年(1700年)、服部嵐雪は鳳来寺に登っているようである。 |
三河鳳來寺 一もとのあふひを登る山路哉 |
明和8年(1771年)4月12日、諸九尼は鳳来寺に参詣している。 |
十四日 鳳来寺に参る。道の傍にて案内の老人に物うちかたる人あり。大野ゝ楽和といへる人にて、この道の好士とや、今宵ハ宿参らせんといふにぞ、やがてその家に入りて、京田舎の物がたりに夜ふけぬ。 |
安永元年(1772年)、加舎白雄は松坂から江戸に帰る途中で鳳来寺に登っている。 |
登鳳来寺 利修仙人の紫鳳に乗りし来てひらきし御山ときくに、護摩の煙りたてし跡は只雲とのみ、本堂は善逝如来立せ給ひて、おりしも山気ひとすぢ真杉の上にかゝりつゝ雨後の梢また尊し。 秋蚊やむらさきふかき峰の雨 |