一茶の句碑
夕立の祈らぬ里にかかるなり
永正元年(1504年)、僧久悦が創建の浄土宗のお寺です。本寺の阿弥陀三尊像は高村光太郎の祖で江戸時代の仏師・高村東雲の作です。 |
文化3年(1806年)ごろ俳人小林一茶が初恋の人の菩提を弔うために何度か訪れたといわれます。 |
6月1日 金谷から船に乗り浦賀に渡りその人の祥月命日の6月2日に墓参するためだ。 |
一日晴 浦賀ニ渡ル白毛黒クナル薬クルシヲスリッブシテ |
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涼風もけふ一日の御不二哉 |
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二日晴夜雨 夕立の祈らぬ里にかかるなり |
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三日晴 東浦賀洲崎町専福寺ヘ参ル |
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香誉夏月明信寿信女 天明二年六月二日没 |
文化三年一茶旅日記より |
「天明二年」は1782年。一茶は20歳で、下総馬橋の俳人大川立砂(油屋)に奉公していたと言われる頃である。 |