一茶の句碑

鶴殺しの松


植足しの松さへ秋の夕哉

 利根町布川にある小林一茶の句碑は、琴平神社徳満寺、来見寺の3ヵ所だと思っていたが、「利根町立歴史民俗資料館」で「鶴殺しの松(涙塚)にも一茶の句碑がある。」と言われたので、応順寺から鶴殺しの松(涙塚)に行ってみた。

利根ニュータウンの北側の道に鶴殺しの松(涙塚)があった。


「鶴殺しの松」とは言っても、松が残っているわけではない。

 念仏院の南に大きな松が10数本あり、これを「鶴殺しの松」と呼んでいたそうだ。

石碑があった。


何と書いてあるのか、分からない。

小さな祠があった。


「涙塚」なのかどうか、分からない。

小林一茶の句碑があった。


 文化元年(1804年)9月3日、一茶は流山から布川に入る。7日、押付新田の念仏院に行く。

三日 晴 布川ニ入

『文化句帖』(文化元年9月)

句碑には次のように書かれている。

文化元年九月七日 晴

押つけ村に逝

 そのかみ天和の比(ころ)となん、鶴を殺して従類刑せられし其屍を埋し跡とて、念仏院といへる寺あり。二百年の後に聞さへ魂消るばかり也。況縁ある人においてお(を)や。

見ぬ世から秋のゆふべの榎哉

植足しの松さへ秋の夕哉

 「鶴殺し」は、鈴木一族の娘のお雪が鶴番の役人との結婚を断ったため恨みを買って仕返しされた冤罪といわれる。処刑された一族の中には6歳の子供もいたそうだ。

念仏院は廃寺となった。

十五日 晴 布川祭

 今夜は鶴殺しのたい夜なりとて、念仏院に其回向あれば、かいわい群集大かたならず。天和より四万三千日にあたるとなん。比(ころ)しも秋風寂々として小田の雁さへ昔おもはれてかなしく、我も念仏一遍のたむけなす員(かず)には入りぬ。

         地内にて

      君が世やかゝる木陰もばくち小屋

『文化句帖』(文化元年9月)

19日、一茶は流山に入る。

来見寺へ。

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