一茶の句碑
徳満寺
段々に朧よ月よ籠り堂
柳田國男は13才のとき「間引き絵馬」を見て「その意味を私は子供心に理解し、寒い様な気持になつた」とのちにのべています。「このようにする外ない飢饉の悲惨さを絶滅しなければならない」という思いが彼に農政学の道を選ばせたのです。
利根町教育委員会 |
廿三日 晴 徳満寺地蔵参詣 段々に朧よ月よこもり堂
『文化句帖』(文化3年1月) |
文化14年(1817年)3月22日、一茶は馬橋から布川へ。26日、徳満寺で夕食に饂飩を食べたようだ。 |
[廿]二 晴 布川ニ入 |
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[廿]六 晴 月船ト野廻リ 徳満寺夕饂飩 |
『七番日記』(文化14年3月) |