台ヶ原宿の起源は明らかでありませんが、甲斐国志に「甲州道中の宿場なり、古道は辺見筋の渋沢より此に次ぐ・・・」とあり、台ヶ原は甲州街道の設定以前から交通集落としての機能を果たしていたと考えられます。 元和4年(1618年)に甲州街道に宿請が申し渡されたので、この頃台ヶ原宿も宿場として整備拡充されていったと考えるのが一般的です。 台ヶ原宿は江戸への里程43里10町余、韮崎宿へ4里、隣の教来石宿へ1里14町、江戸より数えて40番目、宿内の町並みは東西9町半の位置になり、天保14年の宿村大概帳によれば、人口670人、家数153(加宿共)とされています。 |
大名が陣を敷いた場所ということから、大名級の者が宿泊した所である。したがって、規模は広大であり、門を建て玄関を設け、上段の間を有することで、一般の旅籠と区別され、一般の旅籠には許されていない書院造りの建築様式であった。 天明2年の記録に、敷地は間口18間、奥行き19間の351坪で建坪は92坪であった。 |
往年、台ヶ原宿が火災と水害に見舞われたことに起因して、慶應3年「秋月講」というグループが誕生し、防災を念願して、「秋葉大権現」の石燈籠を旧小松家(本陣)屋敷跡に建立して、大火の防火を祈願した。 その後「秋葉講」として祈願グループが広がり、年々秋葉山に代参をたて、地域の火災予防に寄与してきたが、諸般の事情により自然消滅した。近年、集落内に火災が続発し、恐怖心に包まれた折もこの石燈籠が地元住民の心の支えになり、毎年、12月15日を祈願祭としている。 |
平成16年10月吉日
台ヶ原区 |
往時の脇本陣、旅籠屋、問屋場の原形を残しており、江戸時代の宿駅としての盛況がうかがえる。国道20号バイパスの建設により、現在は生活道路となっている。 |
路線名 | 一般県道台ヶ原長坂線(甲州街道) |
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区 間 | 北巨摩郡白州町台ヶ原−白州町白須 |
臺が原に入る 白妙にかはらはゝこのさきつゞく釜無川に日は暮れむとす 四日、臺が原驛外 小雀(こがらめ)の榎の木に騷ぐ朝まだき木綿波雲に見ゆる山の秀(ほ) |