2022年山 口

名陵小学校〜林芙美子生誕100年記念碑〜
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下関市名池町に下関市立名陵小学校がある。

明治36年(1903年)、林芙美子が生まれる。

明治42年(1909年)、名池尋常小学校開校。

平成16年(2004年)9月1日、林芙美子生誕100年記念碑建立。

令和4年(2022年)3月、閉校。

令和4年(2022年)4月、小中一貫教育校「名陵学園」開校。

林芙美子生誕100年記念碑


私は下関と云ふ町で名池小學校へ通学するやうになりました

「一人の生涯」

そのころの私はとても元気な子供だった

「放浪記」

林芙美子
(1903〜1951)

明治36年(1903年)下関市田中町で生まれました。本名フミコ。名池小学校に4年生まで在籍。行商の母とともに各地を転々としたあと上京。苦労の人生を体験し、その中から生み出されたのが、出世作「放浪記」でした。女流作家として中央文壇で不動の地位を得ましたが、昭和26年(1951年)6月28日「めし」連載半ばにして急逝。ひたむきに生きた47年の生涯でした。なお、改造社版「放浪記」の中では下関生まれを強調するとともに「私が始めて空気を吸ったのは、その下関である」とふるさとに思いを寄せて語っています。

下関市南部町に村田写真館がある。

黒田写真館跡


金子みすゞ詩の小径

 山の子濱の子

町を見て來た山の子よ、
町には何がありました。

日ぐれの辻の人ごみに、
踏まれもせずにぽつちりと、
森の一軒屋の灯のやうに、
茱萸(ぐみ)がこぼれて居りました。

町を見て來た濱の子よ、
町には何がありました。

電車どほりの水たまり、
底のきれいな青空に、
さみしい晝の星のよに、
鱗がうかんで居りました。

 金子みすゞが、20歳の記念写真を撮ったのが、この地にあった黒川写真館(今の村田写真館)といわれています。

 このころから、ペンネーム「みすゞ」で詩を書き、雑誌『童話』、『婦人倶楽部』、『婦人画報』、『金の星』などに投稿を始めました。その後、西條八十に認められ、「若き童謡詩人の中の巨星」として詩人仲間の憧れの存在になりました。

JR山陽本線下関駅


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