文久3年(1863年)、「八月十八日の政変」によって朝廷の実権が尊皇攘夷派から公武合体派に移ると、7人の公家が長州へ逃れた。「七卿落ち」である。 元治元年(1864年)5月1日、東久世通禧、四条隆謌の2人が龍泉寺に移る。別名「湯田前町御殿」と呼ばれたそうだ。 |
昭和13年(1938年)11月、種田山頭火は旧小郡町の其中庵を出て、湯田温泉に近い龍泉寺の上隣に転住、「風来居」と名付けた。 |
十一月、湯田の風来居に移る |
一羽来て啼かない鳥である 秋もをはりの蠅となりはひあるく 水のゆふべのすこし波立つ 燃えに燃ゆる火なりうつくしく |
急転直下左記へ移動いたしました。 山口市湯田前町 徳重様裏 万々後便で。
昭和13年11月20日、木村緑平宛書簡
いよいよ草の中から人間の中へはいりました、文字通りの詑(ママ)住居ですが、いつでも温泉にひたれることが何よりのよろこびです、引越には閉口いたしました、なかなか面倒で、そしてとても銭が入りましたよ、酒もまた飲みだして困ります、とにかくここで転一歩して勉強いたしませう、どうぞ奥様によろしく。
昭和13年11月28日、木村緑平宛書簡 |