私の旅日記2009年

蔵王 〜御釜〜
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不動滝から県道12号白石上山線(蔵王エコーライン)で蔵王へ。


蔵王ハイラインは渋滞。

この夏初めての晴天だから、仕方がない。

今日は御釜が見える。


青空でないのは残念だが、贅沢は言えない。

今日は熊野岳に登ってみよう。


この辺りは人もまばら。

深山秋の麒麟草(みやまあきのきりんそう)…キク科。


振り返ると、刈田岳。


御釜を見下ろす。


明治39年(1906年)11月2日、河東碧梧桐は蔵王に登った。

 絶頂を後ろに直下すると、噴火口の大穴が見える。穴の側を辿るように道の跡がある。真向いの風を肩できって、一生懸命に駈ける。突然あれを見ろと若者が声を掛けた。十尋もあろうと思われる穴の底に真青に輝くものがある。火口の沼であると気づく。


白花唐打草(しろばなとううちそう)…バラ科。


熊野岳山頂


標高1,840m。

蔵王国定公園最高峰である。

日本百名山のひとつ蔵王山に登ったことになるのだろう。

熊野神社


708年、建立。

斎藤茂吉の歌碑があった。


陸奥をふたわけざまに聳えたまふ蔵王の山の雲の中に立つ

出典は『白桃(しろもも)』。

昭和9年(1934年)8月、実弟の高橋四郎兵衛建立。

   蔵王山上歌碑

      六月四日、舎弟高橋四郎兵衛が企てのままに蔵王山上歌碑の
      一首を作りて送る

陸奥をふたわけざまに聳えたまふ蔵王の山の雲の中に立つ

『白桃』

生前唯一の歌碑である。

昭和14年(1939年)7月8日、斎藤茂吉は歌碑を見に藏王山に登る。

   歌碑行

いただきに寂しくたてる歌碑見むと藏王の山を息あへぎのぼる


      七月八日歌碑を見むと藏王山に登る同行岡本信二郎、河野
      與一、河野多麻、結城哀草果、高橋四郎兵衛の諸氏

歌碑のまへにわれは來りて時のまは言(こと)ぞ絶えたるあはれ高山や

わが歌碑のたてる藏王につひにのぼりけふの一日をながく思はむ

『寒雲』

昭和37年(1963年)、水原秋桜子は蔵王を訪れている。

   蔵王山

(たき)見るや落木風に鳴るほとり

   蔵王の御釜

秋澄みし空の映れる瑠璃を見よ

『晩華』

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