文政5年(1822年)の大火災や明治期の廃仏毀釈の被害を免れて、国の重要文化財に指定されている。 |
優しい心を持って情け深く、かげ日向なく、まじめで勤勉で腹もたてず、人の悪口を言わない。そんな心を持ち続けていたいと思いながら、私達はこの反対を行っていませんか。お竹さんは、これを実践し生き佛と崇められ、逝くなられてから佛様の化身だったとして祀つられた方です。 お竹さんは寛永15年3月21日、享年58歳、浄土宗善徳寺に葬られ、性岸妙智信女がその戒名です。 お竹さんは江戸日本橋大傳馬町佐久間勘解由家に長く女中として住込み、晩年は家事一切をまかされていましたから、佐久間家では大層なげき悲しみ、お竹さまの木像を彫刻し佐久間家の護り本尊としてお祀りしました。 寛文6年、黄金堂境内にお竹大日堂を建立し、お竹さま縁故の地においてお祀りすると共に、お竹さんを廣く知らせんとしたのである。後、五代将軍生母圭昌院さま、お竹さん女中姿の木像を芝増上寺山内心光院に祀り、江戸にてお竹さまの精神宣揚をはかると共に奥女中にも信仰せしめたから、この頃がお竹信仰が江戸で最も盛んでした。 |
雀子やお竹如来の流し元 |
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守るかよお竹如来のかんこ鳥 |
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雪の日やお竹如来の縄だすき |
守るかよお竹如来のかんこ鳥
『七番日記』(文化12年4月)
雀子やお竹如来の流し元
『七番日記』(文化14年2月)
雪の日や仏お竹の縄だすき
『八番日記』(文政2年10月) |