新年の旅日記

火葬場跡〜斎藤茂吉の歌碑〜
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宝泉寺から火葬場跡に向かう。

須川べりの歌

櫻桃(あうたう)の花しらじらと咲き群るる川べをゆけば母をしぞおもふ

『霜』

昭和16年(1941年)4月30日、斎藤茂吉は上山温泉「山城屋」に着く。

火葬場跡


火葬場跡の歌

わが母を燒かねばならぬ火を持てり天つ空には見るものもなし

『赤光』

火葬場跡に斎藤茂吉の歌碑があった。


灰のなかに母をひろへり朝日子の

のぼるがなかに母をひろへり

『赤光』の「死にたまふ母」(其の三)の歌。

昭和57年(1982年)5月14日、金瓶学校保存会建立。

斎藤茂吉記念館によれば全国で69番目の茂吉の歌碑である。

蔵王を望む。


須川の歌

南より村を貫くこの川は洪水(おほみづ)となりながれさかまく

『小園』

 昭和20年(1945年)、妹なをの嫁ぎ先齋藤十右衛門方に疎開していた時の歌である。

須川を渡る。


三吉山を望む

をさなくて見しごと峯のとがりをる三吉山は見れども飽かず

『霜』

昭和17年(1942年)に詠まれた歌である。

金瓶神明神社へ。