2024年山 形

霞城公園〜最上義光之像〜
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二の丸東大手門


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霞城公園は、市街地のほぼ中央に位置し、約35.9haの面積を有する山形城跡の公園です。延文元年(1356年)に羽州探題として山形に入部した斯波兼頼(最上家初代)が築城したと伝えられ、現在の城郭は第11代城主最上義光(1546〜1614)が築いたものが原型とされています。

本丸・二ノ丸・三ノ丸の三重の堀と土塁で囲まれた、全国有数の規模を持つ輪郭式の平城で、出羽の関ヶ原合戦「長谷堂合戦」で城郭が霞で隠れて見えなかったことから「霞ケ城」とも呼ばれていました。現在残っている二ノ丸の堀や土塁・石垣は、最上家改易後、元和8年(1622年)に城主となった鳥居忠政により整備されたと伝えられています。昭和61年に国の史跡指定を受け、平成18年には「日本100名城」に認定され、現在は桜と観光の名所になっています。

最上義光之像


昭和52年(1977年)11月3日、建立。西村忠(ただし)制作。

最上義光公勇戦の像

 慶長5年(1600年)の秋9月、怒涛の如く攻め寄せた上杉方の謀将直江山城守のひきいる2万3千余の大軍をむかえ、自ら陣頭に立って指揮奮戦し敵を撃退してよく山形を死守した山形城主最上義光が決戦場富神山にむかって進撃せんとする英姿であり、鎧兜は時代考証にとらわれず表現したものであります。

 右手にかざして持っているのは鉄の指揮棒で、清和天皇末葉山形出羽守有髪僧義光と刻んであります。

 銅像をとりまく緑石は山形城三の丸をかたどったものであります。

最上義光公顕彰会

二の丸


最上義光之像


南 門


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