私の旅日記2006年

本間美術館〜鶴舞園〜
indexにもどる

 国道345号から酒田市街に入り、カーナビの指示に従って本間美術館(HP)へ。


 元禄2年(1689年)、本間家初代原光が「新潟屋」を開業。元禄2年(1689年)は芭蕉が「奥の細道」の旅で酒田を訪れた年である。以来、本間家は巨大な資産をつくりあげ、「本間さまには及びもないがせめてなりたや殿様に」と俗謡に歌われるほどになった。

 文化10年(1813年)、四代光道が藩主酒井侯の領内巡検宿泊施設として別荘を作る。

鳥海山を借景にした鶴舞園


 東屋のそばの老松に鶴が飛んくることから酒井侯によって「鶴舞園」と名付けられたと言われている。

明治期の手漉きのガラス窓


 明治40年(1907年)10月16日、河東碧梧桐は本間家について書いている。

 酒田の本間といえば、我々如き金に縁の薄い者でも名を聞いておる。庄内で誇るに足るものがあるとすれば、今の処まず本間位のものであるという。何代前からかわからぬ家憲というものが厳守されておって、当世には不向きな事が多いそうであるけれども、その家憲を守って、依然として天下の金持たる威信を保っておる点は面白い。


大正14年(1925年)、東宮殿下がお泊まりになった御座所。


 昭和22年(1947年)、本間家別荘「清遠閣」と庭園「鶴舞園」を開放して「本間美術館」を開く。

雛祭古典人形展


珍しい花が咲いていた。


聞いてみると、菊咲一輪草(きくざきいちりんそう)だという。

菊咲一輪草(きくざきいちりんそう)は菊咲一華(きくざきいちげ)のこと。

茶室「六明廬」


本間美術館前庭に常世田長翠の句碑がある。

本間光道は美杜李と号した俳人でもあった。

日和山公園へ。

「私の旅日記」2006年〜に戻る