わが俳句は 俳句のために あらず更に く深きものへ の階段に過ぎず
普羅 |
うしろより初雪ふれり夜の町 大雪となりて今日よりお正月 雪の夜や家をあふるゝ童声 雪山に雪のふりゐる夕かな オリヲンの眞下春立つ雪の宿 |
前田普羅師は俳誌辛夷の主宰、大正十三年春、この地に来り居ること二十余年、昭和二十五年春出でゝ東京に移り幾何もなく病を得、昭和二十九年立秋、その地に逝いた。 師は越中の山河を深く愛し、その風物を諷詠して倦まず。俳句界のみならず広く世人に大いなる影響を與へた。 この碑、師統をつくる子弟ら相寄つて建つるもの、或は師の高風に副はざるやをおそる。
杏子誌 |
夕まけて心さひしく なりにけり澄みたる ひぐらしのこゑ |
古りし小城の石段を 埋むと散りしさくら花 踏みてのぼれば空遠く 雪かと紛ふ雲のゆく 玉の杯花うけて くろかみ長き女(ひと)舞ひし 高樓朽ちていくとせか 柱の傷もなつかしき
中山輝 |