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嘉禄2年(1226年)に真宗の始祖である親鸞聖人が, 長野の善光寺から一光三尊仏を迎えて本尊としたのがはじまりと伝えられています。 境内には江戸時代に再建された建物群があるほか, 親鸞聖人をはじめとする歴代上人の墓石がある御廟所があります。 |

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宝永6年(1709年)、明式法師は専修寺を訪れている。 |
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羽黒のにし三里ばかり小栗の里有。是よりひがしにむかふ。眞佛の舊房は上高田と云。山崎川を渡りて、やがて専修寺に入る。惣門の奥、山門をかまふ。向に如來堂彩色精麗なり。善光寺の如來高祖の夢中にたまふ三尊のよし。北に釋迦涅槃堂、まへに本堂有。庭前に高祖御楊子の柳、森かげに御腰掛の石ぞと人のかたる。 |
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明和元年(1764年)12月3日、内山逸峰は専修寺にて朝飯を食べている。 |
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明ればしはす三日、下野国高田村専修寺にて朝飯をたうべて、それより下総国結城郡結城の里へと心ざすに、此里のうしとらの方五六丁斗に、月輪禅定門兼実公の姫君、玉日の宮のはか有。其あたり近くに玄能和尚の墓も有。 |

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寛政3年(1791年)6月9日、鶴田卓池は専修寺を訪れ、境内の様子を記している。 |
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九日 壱り半高田 此辺沼多シ 入口ニ小橋アリ 外門 楼門 南勅号専修寺 西勅号阿弥陀寺 東太子寺 北無量寿寺 如来堂 東向六間四面 御前立アリ 太子堂 寝釈迦堂 鐘楼堂 開山堂 南向十三間 前ニ菩提樹有リ 聖人自植給ひし柳ニテ刻給ひしト云五十三之 木像有 左右に顕智真仏自作ノ木像アリ 鸞上人御廟所 左右に九代目迄ノ墓あり |

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「一光三尊仏」は善光寺の本尊そのものではなく、「一躰分身弥陀仏」である。 文化7年(1810年)3月13日から7日間、専修寺の一光三尊佛は浅草の唯念寺で開帳。小林一茶も開帳に参詣している。 |
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高田修専(専修)寺ノ如来信州善光寺一躰分身弥陀仏三月十三日ヨリ当唯念寺ニ七日ガ間開帳参詣
『七番日記』(文化7年3月) |

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下野國高田專修寺に詣でて さわやかや眞佛の徳顯智の智 |
