2005年〜栃 木〜
レストラン「パティオ」 〜「米屋旅館」〜
中禅寺湖畔は大正末期から戦前にかけて各国大使館の別荘が建ち並ぶ国際的避暑地として賑わっていたそうだ。 |
昭和7年(1932年6月11日、与謝野鉄幹晶子夫妻が「米屋旅館」に泊まり、米屋の船で出かけた時に詠まれたものだそうだ。 |
与謝野鉄幹晶子夫妻は大正14年5月17〜19日の3日間、米屋旅館に宿泊している。 |
大正14年の11月に実家の米屋旅館が全焼した。宿泊客の男女が放火して心中をはかったのである。
井上文雄の手記 |
平成16年(2004年)5月「米屋旅館」は廃業。その建物も取り壊されてしまった。 |
大正11年(1922年)10月29日、若山牧水は「米屋旅館」に泊まっている。 |
この時の牧水は上州草津から野州日光までの歌行脚、いわゆる「水上紀行」の旅の途中、日光はその最終目的地に当たっていた。前日に牧水は中禅寺湖畔の私の実家米屋旅館に1泊し、長兄志郎等から湖水周辺を案内されて幾つかの歌を残している。
井上文雄の手記 |