私の旅日記〜2009年〜
眞淨寺〜芭蕉翁霊塚〜
青梅市谷野に眞淨寺という寺がある。
眞淨寺山門
山門前の右手に2基の碑があった。
左は「時雨桜碑」。
武州入間郡杣保内谷村真浄寺門前に時雨桜二樹あり、資枝に歌よめといひしかば
さくら花梢のしづくおつるより幾世しぐれの名にやふりけむ
従一位資枝
日野資枝は京都の公卿、眞淨寺中興開山浄月律師の和歌の師である。
川村碩布は「時雨桜碑」を見て句を詠んでいる。
武州多摩の郡真浄寺の
門前に時雨のさくらあり
枝に哥よめとあれハ
さくらはな梢の雫落るより
いくよ時雨のなにやふりけん
此歌いと尊く覚て杖を止る事二日
朧夜はしくれ桜の荷擔(カタン)かな
右は「芭蕉翁霊塚」。
「時雨塚」、「百年塚」ともいうらしい。
芭蕉百年忌に浄月律師によって建立されたようだ。
芭蕉翁霊塚 | 武藏國杣保内谷村真浄寺門前ニ時雨櫻 |
|
| 二樹有リ日野故一位殿御歌有○其櫻ノ陰ニ |
|
| 芭蕉塚ヲ立依之時雨塚ト云又百年忌ニ此塚 |
|
| 築故号百年塚 | 時雨菴嘯谷
|
| | 并燕巣連中建立之
|
時雨菴嘯谷は浄月律師の俳号。
芭蕉百年忌は寛政5年(1793年)。
星谷山明星院眞淨寺
真言宗豊山派の寺である。
木陰に浄月律師墓碑があった。
天保3年(1832年)、浄月律師没。
天保14年(1843年)、墓碑建立。
浄月律師没後10年のことである。
碑の裏に歌が刻まれている。
一切の言語は
|
阿字を離れずといふことを
|
|
難波江の岸にしげれることの葉を
|
おもえばあしのひともとにして |
「桂花堂」は浄月律師のこと。
浄月律師は中原章の門弟。
中原章は眞淨寺の時雨庵を最も好み、ここに起居する日が多かったそうだ。
常保寺に中原章の墓がある。
睡蓮が咲いていた。
もう初夏である。
私の旅日記〜2009年〜に戻る